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「いつかは死ねる」ことを原動力に

 ひとりになったB子さんは、元夫に返済能力がなかったので、借金を返すためになお必死に働きます。借金をほぼ返し終わった41歳の時、一から眼科の勉強をするために某地方国立大学の医局に入局します。ここで軽躁状態になり、「双極性障害」と診断されます。

 その後、5時に起きて21時まで働く毎日でうつ状態になり、8カ月間、市中病院に入院します。退院後、別の個人クリニックに転職するも、理事長からパワハラを受け、次第に持病のメニエル氏病が悪化し、働けなくなりました。次に転職した総合病院でも、外来の5人のスタッフからのいじめ(完全な無視)に遭い、うつ状態のため9カ月で退職に至りました。ここでも、4カ月間、前と同じ病院に入院します。退院後、個人クリニックでの職を転々とします。

 50歳の時、昔の同僚に招かれ、その人が事務長をしている個人クリニックで働き始めました。この既婚の事務長に、B子さんは恋愛感情をもっていました。その事務長から、資産運用をしてあげると言われ、借用書なしでどんどんお金を渡しました。多額のお金を渡すため、休みなしにアルバイトもしました。やはりこの時も、貢ぐことで精神を安定させていたのです。B子さんの総資産は、常に3万円でした。事務長は最初からB子さんのお金をだまし取るつもりだったことを知ったのは、民事訴訟になってからのことでした。

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 54歳の時、心因性の視力低下を突然発症しました。その頃、総合病院の眼科で働いており、最もやりたい仕事ができている時だったので、「泣く泣く眼科を断念して退職した。これは辛かった」と振り返ります。

 求職中、矯正医官が募集されていることを知り、矯正医療に携わりたくて応募し、54歳の時に採用されました。その公募情報は、40歳ぐらいから連絡を取るようになった実姉が教えてくれました。矯正医官とは、刑務所や少年院内に設置された診療所等において、被収容者の健康診断を行ったり、病気に罹った場合の治療を行ったりする医療職のことをいいます。

 B子さんは56歳の現在、某少年院で矯正医官として働いています。少年たちのおおむね8割がたには被虐待経験があることから、「自分も虐待されてきたから、そういう子たちにちょっとは寄り添うことはできるかなと。少しでも少年の更生の役に立てれば」と思って働いているといいます。精神医学・心理学に造詣が深く矯正医療に理解のある上司と、気さくに話せる同僚に恵まれ、現在は居心地の良い職場で働けているといいます。

©AFLO

 それでも、お金との距離の取り方がわからず、いまだに「もっていると不安になる」ので、銀行の残高や給与明細を極力見ないようにしているそうです。この数年、問題飲酒が続いており、断酒会にも入会して月2回の定例会に出席しています。「フェリーで外洋に行って溺死したいという思いを拭えないまま、迷いながら生きている」のが本心です。

「貢ぐことなく条件なしに愛されたら、自分自身に『生きてていいよ』と多分言えるのでしょうけど、本当にそういうことが起きうるとはいまだに思えません」。

 B子さんは今、「いつかは死ねる」ことを原動力に生き続けています。