文春オンライン

「早くパパやママにお金をちょうだいね」幼稚園の時から“金づる”として扱われ…23歳で自殺未遂した女性に両親がかけた驚きの一言

『ACEサバイバー ――子ども期の逆境に苦しむ人々』より #2

2023/09/01

genre : ニュース, 社会

note

トラック運転手になり、そして結婚

 27歳の時、高校生の頃から漠然と憧れていた、長距離トラック運転手になります。両親は「きっと悪い男に捕まって金を巻き上げられるに違いない」と落胆し、嘆きました。

 同僚の男性と男女関係になり、彼が家に転がり込んできて同棲が始まりました。「どこか、なにがどうなってもいい、という気持ちがあった」。この頃には、親に仕送りするのをやめたくなり、中止しましたが、親は医者に復帰させることが不可能とわかると、うるさくは請求してこなかったといいます。

 トラックの走り方が未熟だったB子さんは、交通違反を繰り返し、免停になってしまったため、間もなくして運転手の職は辞めざるをえなくなりました。派遣社員などのさまざまなアルバイトをしましたが、元々板前だった彼が自分の店を持ちたいというので、高収入が得られる医師のアルバイトをすることにしました。

ADVERTISEMENT

 彼はサラ金に借金があり、雇われ板前に戻っても月10万に満たない収入だったので、B子さんがひたすら稼ぎ、費用を工面しました。

 29歳の頃です。健康診断、献血の予診をとる仕事、コンタクトレンズを処方する仕事など、少しでも高い給料が入るのなら何でも、トリプルワークで必死に働きました。

 こうすることで、B子さんは「生きていていい」と自分を納得させていたのです。いつしか貢ぐ相手は、親から交際相手に変わっていました。

 31歳の頃、その彼と入籍しました。彼のことは好きかどうかわかりませんでしたが、彼の両親がB子さんのことを可愛がってくれ、「この2人の娘になりたい」と思って入籍を決めました。夫とは、大事なことを話し合える関係性ではなく、いわば「良い飲み友達」でした。けれども、結婚していた10年ほどは精神科に通うことはありませんでした。

 30代はひたすら働き、34歳の時に居酒屋を開店し、36歳で一軒家も購入しました。すべてB子さんが用立てました。必死で働いている時、膠原病やメニエル氏病を発症しましたが、治療はできませんでした。

 37歳、小さなビルをローンで買って、お店を移転しましたが場所が悪く閑古鳥で、開店3カ月後には経営破綻となりました。借金が約3000万円残りました。夫は国外に出稼ぎに行き、B子さんも遠隔地の診療所で常勤勤務を始め、38歳の時、淡々と離婚に至りました。

関連記事