「昔流行していた右玉がタイトル戦でも指されるようになるとは…」
控室ではAIの読み筋や評価値もベースにしながら積極的に意見が交わされていたが、私はあえて5階の中継室で観戦することにした。対局者はおそらくAIと違うことを考えている。評価値をなるべく見ずに観戦したほうが、対局者の苦悩や凄みを理解しやすい。カメラからの映像と盤面だけを見て、立会人の佐藤義則九段と、他棋戦を中継している君島俊介さん、内田晶さんとワイワイ言いながら観戦する。
この日はB級1組順位戦で羽生善治九段ー横山泰明七段戦も行われていた。羽生は52歳、横山は42歳、しかしまったく年を感じさせない激しい攻め合いをしている。両方の対局が見られるのだから至福のときだ。
伊藤が右玉を選択した話から、右玉談義になり、7月3日の棋聖戦第3局で藤井棋聖が見せた、対右玉の地下鉄飛車の話に。その将棋では藤井の飛車が8筋に回ったが、もともとの地下鉄飛車は9筋に回るもので、その公式戦第1号局は1966年、今から57年の前に中原誠十六世名人が米長邦雄永世棋聖相手に指したもの(当時は中原が四段、米長が五段の新鋭)。これには裏話があった。佐藤は懐かしそうに語った。
「昭和40年頃はね、角換わり腰掛け銀対策としての右玉が流行していたんだよ。で、その右玉対策ということで私の師匠(芹沢博文九段)や、北村さん(北村昌男九段)が地下鉄飛車を研究していてね。で、米長さんもその研究に加わっていたんだよ。ところが中原さんに逆にやられてしまったと(笑)。実際には飛車が回られたらまずいと米長さんが動いたので地下鉄飛車は実現しなかったけどね。それにしても、昔に流行していた右玉がタイトル戦でも指されるようになるとはねえ……」
息もできないノンストップの終盤戦
そんな話をしているうちに局面はいよいよ佳境に。
104手目、伊藤が馬取りに歩を打てば、永瀬は攻めずにじっと馬を逃げた。ここで手番を渡すとは、さすが永瀬、胆力あるなあ。伊藤は残り20分のうち13分を使って先手陣の銀取りに△8五歩を打つ。いわゆる「下駄をあずけた」手で、この手自体は詰めろではないが、自玉に詰めろはかからないだろうという、これまた度胸の据わった手だ。
なるほど先手は金を渡すと自玉が詰む。つまり駒台の金を寄せに使えないわけで、これで勝ちと伊藤は判断したのか。おっと、永瀬が桂を持ち、香車が下段に控える端に捨てた! ▲9三桂、飛車取りだ。なんとこんな鬼手があったのか。伊藤が銀を取るならば飛車を取る。このとき、先ほど引いた馬が自玉の斜め後ろを守っていて、詰まない。両者は正座のまま前傾姿勢。