2016年、23歳の永瀬拓矢六段は初めてタイトル戦の大舞台に立った。羽生善治棋聖との第87期棋聖戦五番勝負は、2勝1敗と追い込みながら第4、5局を連敗し敗退した。

 私は第3局の副立会と、第4局の観戦記を担当したが、永瀬の対局姿が気になった。外からの日差しを気にして対局席の位置を変えさせるなど、神経質であまりにも余裕がなかったのだ。羽生はそれを見透かしたかのように、第4局では永瀬の矢倉に対し、古いタイプの急戦を採用し、第5局では後手で1手損角換わりと、経験が多い形に誘導した。永瀬はあと1勝まで迫りながら、先手番で連敗。初挑戦でのタイトル奪取はならなかった。

「藤井聡太四段 炎の七番勝負」で唯一藤井に勝利

 永瀬は人生のすべてを将棋に費やしてきた。観戦記で取材したとき、「1月は対局と研究会が28日でした。正月三が日だけはVSの相手がいませんでした」と言われて、言葉を返せなかったことがある。それを17歳で棋士デビューしてからずっと続けてきた(実は王座戦第1局の前日も午前中に研究会をしていたそうだ)。

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“努力の人”として知られる永瀬拓矢王座 ©杉山拓也/文藝春秋

 それでも、永瀬は自分に何かが足りないと自覚していた。運命の出来事があったのは、棋聖戦から半年後である。ABEMA将棋チャンネルで「藤井聡太四段 炎の七番勝負」が企画された。史上最年少14歳でプロ棋士となった注目の藤井聡太四段が、羽生善治三冠(王位・王座・棋聖)、佐藤康光九段、深浦康市九段、斎藤慎太郎七段、中村太地六段、永瀬拓矢六段、増田康宏四段(段位はいずれも当時)と対局するという番組だ。

 2017年1月28日、2人は初めて出会い、戦った。永瀬はすでに振り飛車党から居飛車党に転向していたが、後手でゴキゲン中飛車を採用して快勝した。

 7人のうち、藤井に勝ったのは永瀬だけだった。

 永瀬は藤井が序盤から時間を使って考え続ける姿に感銘を受け、自ら藤井に連絡したという。この企画のプロデューサーである野月浩貴八段の話では、撮影スケジュールがタイトで感想戦以外での会話はなかったそうだから、永瀬の体当たりだ。

 藤井の師匠である杉本昌隆八段によれば、藤井の奨励会時代には学校帰りに杉本の研究室に寄って指していたが、四段となり、よいスパーリングパートナーが必要だと考えていた。そんなとき藤井から「永瀬先生に教わることになりました」と連絡があり、それはいいと研究室を提供したそうだ。

 永瀬が名古屋まで出向き、研究室に集まればすぐに対局を始め、終電までひたすら将棋を指すのだ。

 今年6月17日、千葉県柏市での「藤井聡太叡王を囲む会」で私は藤井と話す機会があった。今でも永瀬とのVSは続いているのかと聞くと、月1、2回は行っているということだった。だが、タイトル戦で戦うということで、1ヶ月前に中断している。