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 伊藤の体の揺れが大きくなる。しかし、慌てた様子はない。この手も読み筋でしたという手付きで、飛車を逃げた。永瀬が後手玉の下から銀を打って詰めろをかけると、伊藤は桂を跳ねて馬の利きで詰めろを防ぎつつ敵玉を狙う。永瀬が竜を入って詰めろをかければ、伊藤は金を打ってしのぐ。これぞプロの技。息もできないノンストップの終盤戦だ。

 そして113手目、永瀬が▲6二銀打と、玉の横に銀を打ち込む。後手玉は竜・馬・銀・銀・桂、5枚の駒に包囲されてもはや受けはない。これが詰めろで決まったか。

 しかし、伊藤は前に進んだ。△8六歩と、ついに銀を取り、先手玉に詰めろをかける。あれ、諦めて形作りというような手付きではないぞ、むしろ自信ありげだぞ……そうか! 全部を清算して▲8一飛の王手のとき、△9三玉と玉を端に寄って詰まないのか!

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まさか2023年に2002年生まれ同士のタイトル戦が実現するなんて

 実戦も▲8一飛まで進む。永瀬が天を仰いで、天井カメラ映像を見ていた私と偶然、目線があった。もちろん永瀬から私は見えていない。ガックリきているのがわかる。詰まないことに気がついたのか。

 ところが君島さんが「△9三玉はまずいとAIが言っています」。ええっ!

 そう言われて、私と佐藤は気がついた。そうか、邪魔な銀を2回動かして捨てて、7一に馬が入って詰みなのか。佐藤と2人で「そんな手があったのか!」と叫ぶ。ならやっぱり永瀬の勝ちか? いや伊藤は落ち着いているし、まだ4分残している。藤井の「永遠の3分」みたいだな……。

 伊藤は8一飛に1分使って桂を合い駒する。ここでようやく状況を理解する。そうか!(何度目!?) 桂を犠牲に上部に逃げるのか。なんていう終盤力なんだ。終盤の強さは彼が9歳のときから知ってはいたけれど。つい先日もNHK杯で対戦して、終盤の読みの速さと正確さを目の当たりにしたけれど……。

 だが永瀬は諦めずに王手をかける。一手間違えば奈落の底だ。「勝ち筋の細い糸をたぐり寄せるのは大変ですよね」と君島さんがつぶやくが、伊藤は落ち着いている。永瀬らしい、義理堅いまでの王手ラッシュをかいくぐり、ついに逃げ切った。146手で伊藤匠六段の勝利。初のタイトル戦登場、藤井竜王への挑戦、七段昇段も決めた。

 対局室には大勢のメディアが詰めかけた。まさか2023年に2002年生まれ同士のタイトル戦が実現するなんて。それも将棋界最高峰のビッグタイトル竜王戦で。

 将棋の神様がこの対局を強く要望しているとしか思えなかった。