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生まれて40年で…「にしきた商店街」激動の日々

 

 にしきた商店街の歴史は、1983年にはじまる。もともとこの西宮北口駅北西側は、昭和の初め頃に阪急電鉄などによって郊外住宅地として整備された。それで名付けられたのが昭和園・甲風園。西宮市内にある、いわゆる西宮七園と呼ばれる高級住宅地の一角で、それが西宮北口駅のすぐ近くにあるというわけだ。

 実際、にしきた商店街を抜けるとよく整備された住宅地ゾーンに入る。大きくご立派な邸宅も多く、文字通りの閑静な住宅地。南側のタワマンとはまたひと味違う、阪急らしさたっぷりのエリアといっていい。

 にしきた商店街は、その昭和園・甲風園の住宅地と駅の間に生まれた商店街で、はじめは甲風会といったらしい。ところが、1995年の阪神淡路大震災前後の頃から学生たちがこの町を「ニシキタ」と呼ぶことが定着。それを受けて、「にしきた商店街」に改称したのが今に続いているという。

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 学生街といっても、高田馬場のようなそれをイメージしたら大間違い。根っこには昭和の初めからの由緒ある高級住宅地のゲート部分にあたる商店街という本質があるのだろう。

 それがゆえ、猥雑でゴミゴミしていてだけど活気だけは溢れていて、というような学生街とは性質がまったく違っている。流れ来る学生たちと、もともとのこの町の性質が合わさって、独特な雰囲気を醸しているというのが正しい理解なのかもしれない。

 そして最後に、西宮北口駅の北東だ。北西側から今津線の線路を踏切で渡って北東側へ。すると、とにかく大きなインパクトを持って目に飛び込んでくるのが、巨大な商業ビルである。

 北東側の駅前に鎮座しているビルは、「アクタ西宮」という。東館・西館に分かれるツインビルで、どちらも背の高い高層ビルだ。その真ん中をからまっすぐ北に向けて大通りが伸び、さらにアクタ西宮の北側で東西の大通りと交差する。

 この道を東に少し行けば、阪急電車の車庫の脇。さらに北側に行けば、これまた実に落ち着いた町並みが続く住宅地になっている。

 

 実は、この駅北東一帯には、震災前まで昔ながらの市場や商店街があり、木造住宅が密集しているような地域だった。原点は1933年に10店舗ほどでスタートした小さな商店街で、震災前には東西約200mにかけて70店舗近くが軒を連ねていたという。

 それが、震災によって大きな被害を受けた。周辺の家屋を含め、半分以上の家屋が全半壊してしまったのだ。とうぜん、昭和初期からの歴史を持つ商店街も灰燼に帰した。