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25歳でフリーターからプロテニスへ…全国模試5位、開成ー東大卒の“天才“が歩んだ壮絶な学生時代「ガリ勉の極致みたいな世界だった」

25歳でフリーターからプロテニスへ…全国模試5位、開成ー東大卒の“天才“が歩んだ壮絶な学生時代「ガリ勉の極致みたいな世界だった」

テニス選手・市川誠一郎さんインタビュー#1

2023/09/09
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 入学してからは古い洋楽を遡って聴いて、ロックに関しては最終的にイギリスのロックが好きになりましたね。東大はジャズのミュージシャンを呼んだ講義もあるので受講して、ジャズがすごく好きになって渋谷のジャズ喫茶にも入り浸って。現代舞踊やバレエの講義もあったので、そこからクラシックとか民族音楽に触れて、パイプオルガンを弾いて、ベルカントってイタリアの伝統的な歌唱法のサークルに入って曲を作って。

 そんな感じで、音楽の興味も一気に広がったんですよね。一通り知っておかないと、すごく浅い音楽しかできなくなるだろうなって。とにかく音楽のことを知らなすぎたので、広く音楽を聴いて、そのルーツも知りたいなと思ったんですね。

ギターだけ持ち、あちこちの国を回って世界の音楽を追求

ーー東大の音楽サークルには入らなかったのですか?

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市川 入りましたよ。最初はバンドサークルに入って、バンドをやって。「ジャズもやります」的なサークルだったので、サックスの入ったバンドで歌って。でも、サークルのクチャクチャした人間関係が好きじゃなかったので抜けて、自分でバンドをやりながらジャズや現代舞踊の講義を受けてたんです。

テニスを始める前の大学時代

 東大の講堂にパイプオルガンが置いてあって、同好会もあったので、そこに入って何時間も弾いてましたよ。ピアノを置いた部屋もあったので、夜の21時ぐらいから朝まで弾いてたり。

 世界の音楽を追求するといって、ギターだけ持ってあちこちの国を回りましたしね。

パリの音楽院に留学する予定だったが…

ーー探求の速度と深度が、凄まじいですね。

市川 ジャマイカでレゲエのレコードを掘りにいったら、ドレッドになって帰ってきました(笑)。キューバ音楽を聴きにキューバに行ったり、ギターを持ってヨーロッパをプラプラして路上で弾いてみたり。お金はないから、ヒッチハイク、野宿、ユースホステルで。ユースホステルだと「ご自由に」って食べ物が置いてあるから、それで食いつないでましたね。

テニスを始める前

 あと、東京藝術大学で講師をされていた野口実という先生に師事したんですよ。開成高校でギターの授業があって、野口先生はその講師もされていて。大学に入って様々な音楽を知るうちに、実は野口先生が土方巽らが率いた暗黒舞踏という前衛的な現代舞踊の音楽を作っていた音楽家だったことを知り、再び先生を訪れました。実験的というか、聴く人によっては音楽だとすらわからない音楽です。

ーー現代音楽の世界に進んだそうですが、それは野口先生に師事したことも大きかったのですね。

市川 大学を卒業してからも音楽をやってて、パリの音楽院に留学をしようと。留学を認めてもらうには、6曲ぐらい曲を送らないといけないんですよ。先生にピアノや曲をチェックしてもらって、「これで大丈夫」ってクオリティにまで仕上げて、パリの音楽院に送ったら留学OKが出て。

 あとはパリに行くだけだったんですけど、急遽取りやめてテニスを始めるんです。

25歳でフリーターからプロテニスへ…全国模試5位、開成ー東大卒の“天才“が歩んだ壮絶な学生時代「ガリ勉の極致みたいな世界だった」

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