酸素が必要なのは7つの山のうちエベレストだけなのに…
――栗城さんは生前、「7大陸最高峰の単独無酸素登頂」を掲げていて、それに関しては、かなり早い段階で登山界の人たちが「酸素が必要なのは7つの山のうちエベレストだけなのに、それをこのように謳うのは誤解を招きかねない」と言っていて。もっともなので、周りの人たちに指摘されて、すぐに修正されるものだと思っていたんです。でも、基本的にこの表現は最後まで変わらなかった。それもすごく不思議だったんですよね。「嘘」とまでは言わないにせよ、間違った情報を与えかねないじゃないですか。
森山 いや、周囲の人たちも、結局はわかっていなかったんだと思います。山岳関係者もいろいろいるので、わかっているようでわかっていないんですよ。特に先鋭的な登山の分野になると、理解できる人は本当に限られてくる。登山雑誌の人間でさえわかっていないことがよくありますから。変な登山家が現れても取り上げちゃったりするし、間違いをそのまま放置したりしてしまう。
ある種の“自殺行為”が美談になってしまう
――現代の先鋭的登山を書くときの最大の壁は、その挑戦がいかに大変かを一般読者に伝えることがとてつもなく難しいということだと思うんです。なにせ、ほとんどの人が経験したことのない世界なので、一般の人は想像しようがない。栗城さんのような人物が存在し得たのは、高所登山という、選ばれた人間しか行くことのできない、いわば閉ざされた空間だったからだと思うんです。
栗城さんが狙っていたエベレストの北壁や西稜ルートを単独無酸素で登ることの困難さを森山さんがいくら説いても、一般の人にはどうしても伝わり切らないじゃないですか。だから、ある種の自殺行為が美談になってしまう。森山さんが引き合いに出していたように、大学野球の平均的な選手が、「ヤンキースの4番になるんだ」と言い張っているとしたら、一般の人でも何かおかしいんじゃないかと気づくと思うんです。しかも、何度も失敗していて、そこそこの年齢に達しているとなれば。野球なら、日本人はある程度まで、具体的に想像できるので。
森山 いろいろ工夫しましたね。どうやったら、この挑戦の無謀ぶりを一般の人にわかってもらえるんだろう、と。普通の人からしたら、どこから登ろうとエベレストはエベレストで、選んだルートによってその難易度に雲泥の差があるなんてことにまで想像は及ばないですからね。