『自称詞〈僕〉の歴史』(友田健太郎 著)河出新書

 わたしの通っていた佐賀県の公立小学校で、男子生徒が使っていた自称詞は、圧倒的に〈おれ〉だった。転校生など数少ない〈僕〉派は、「つやつけんな(格好つけるな)」とからかわれていた。1980年代の話だ。どうして〈僕〉は格好つけていると言われたのか。友田健太郎の『自称詞〈僕〉の歴史』が、長年の謎を解いてくれた。馴染み深いのに実は不思議な〈僕〉をめぐる冒険の書だ。

 著者は本書において〈私〉という自称詞を選択している。「はじめに」にも書かれているとおり、〈僕〉は教師が推奨するような大人しく知的な印象を与えるものの、私的な言葉と見なされてきたからだろう。ところが、第1章「〈僕〉という問題」によれば、近年は〈僕〉の使用が公の場でも一般的になっているという。プロ野球界の自称詞を例に、時代の変化を明らかにするくだりに引き込まれる。

 なかでも〈ワイ〉語りによって番長キャラ化されて人気を博した清原和博が、現役を引退し紆余曲折を経た今はもっぱら〈僕〉を使っているという指摘に驚いた。そういえば清原の次男の所属する慶應義塾高等学校野球部が甲子園で優勝した際も、お祝いのコメントの自称詞は〈僕〉だった。現在の清原には〈ワイ〉が醸しだす豪快さより、〈僕〉の柔らかさがしっくりくるということかもしれない。大谷翔平をはじめとしたWBC日本代表の和やかな雰囲気にも〈僕〉が似合う。

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〈僕〉は自称詞のなかでもソフトなイメージがあり、主に対等な関係で使われる。著者が調べたところ、1960年くらいまで〈僕〉を使っていたのはほとんど高学歴層の男性だった。しかし、本来〈僕〉は〈奴僕〉という意味。『古事記』では、立場が下の者が上の者に対して自分を指して使う謙譲語だったという。女性が使った例もあった。その〈僕〉がどのような経緯でエリート男性に普及し、階層を問わない個人の自称詞になっていったのか。著者は古典文学から村上春樹の最新長編小説まで、丹念に資料をあたりながら歴史をひもといていく。

 言葉は生きものだ。人に使われなければ、すぐ廃れてしまう。平安時代以降、〈僕〉も死語になりかけていたらしい。江戸元禄時代に〈僕〉を復活させたものが何かをつきとめるところはスリリングだ。キーワードは〈学問を通じた友情〉。〈自由・率直に自分の感情を表現し、意見を交わし合う対等な人間関係への希求〉を背景にした〈僕〉を駆使して、師弟間の友情を世の中を動かす連帯に発展させた幕末の志士・吉田松陰のエピソードも魅力的だ。

 終章では、自由と対等を志向する〈僕〉たちの世界から、女性が排除されてきた問題に切り込んでいる。連帯性を表す自称詞だったはずの〈僕〉が、誰かを抑圧するのは悲しい。ただ、希望も提示されている。分断を乗り越える一歩は、言葉からはじまるのだ。

ともだけんたろう/1967年生まれ。歴史研究者。日本語教師。放送大学修士(日本政治思想史)。1991年、東京大学卒。新聞社勤務後、ニューヨーク州立大学バッファロー校にて経済学修士号を取得。
 

いしいちこ/1973年生まれ。ライター、書評家。著書に『文豪たちの友情』(新潮文庫)、『名著のツボ』(文藝春秋)がある。