東 私、母のすっぴんを見たことがないんです。朝起きたら、化粧をしてイヤリングまで付けていて。お風呂に入った後も薄化粧をしているような人だったんですね。それで朝ごはんを作って、完璧なお弁当を作るんです。色とりどりで、海のもの、山のものが入っていて、栄養満点な。
それから夫を見送って、自分も仕事に行って。仕事も忙しいのに、帰って来たら家事をやるんです。だから「私には無理だろうな」って子どもの頃に思ってました。
優しいが故に人から騙される父
――すごくしっかりとしたお母様だったのですね。では、お父様はどのような人でしたか。
東 父は全てを「ええよ、ええよ」と許してくれる人で、居心地はよかったのかな。母の人生観に染まっていて、なんでも許してくれる。私や妹に対して「君たちの幸せが僕の幸せ」みたいなことを言うんです。でも「それでいいわけないじゃん」と思って、私の中では葛藤がありましたね。
父はすごくいい人だったから、立ち上げた会社の社員さんからも慕われているんだけど、一方でめっちゃ騙されるんです。
――どういう騙され方をされたのですか?
東 お金を持ち逃げされるし、貸しても返してもらえないし。母はそれを「情けない」と言っている感じ。だけど父は「自分たちは生きているし、僕は明日もお給料があるんだから、困っている人がいるんだからもういいよ」と。そういう会話を聞きながら「なんてダメなお父さんなんだろう」と思いつつ、妹と「なんか優しいよね」と話したり。でも母が働いているからなんとかなっているわけで、とても危うい人だなぁ、とも思っていました。
母の喜びが自分の喜びのようだった
――東さんと、ご両親との関係性はどのようなものでしたか。
東 私、いつも成績がトップクラスだったから、母が母の友達に「トンビが鷹を産んだのよ、うふふ」と自慢げに話をしているのを聞いたことがあって。それがすごい違和感だったんですね。「どうしてそういう言い方で自分の子どものことを自慢するんだろう、トンビの子はトンビなのに」って。自分を卑下して子どもを褒め称えるということに、すごく違和感がありましたね。だから「お母さんのために勉強しているんじゃないんだから、そういうのはやめて」とは言っていました。
――そういうお母様の言葉などがプレッシャーになっていたのでしょうか。
東 そうでしょうね、やっぱりテストや試験でいい点を取ったときに母が喜ぶ顔には、ホッとしていました。母の喜びが自分の喜びであるかのような。「また次も頑張ろうね」と言われることが喜びであるような、重圧であるような。「これで終わりじゃないんだ」という。それで、自分の希望がわからなくなるわけです。