典型的にマッチョな男だって、たいていの場合は「過剰にマッチョである演技をし続けていないとおのれのセクシュアル・アイデンティティーが安定しないで困っている人」です。果たしてこれを「ふつうの男」と言うことができるか。テンガロンハットかぶって、カウボーイブーツ穿いて、ネルシャツ着て、ビール飲んで、マルボロ吸って、ピックアップトラックに乗っていないと性的アイデンティティーが維持できない男って、どう考えても、「性自認に深刻な問題を抱えている男性」でしょう。
性器の有無と性自認の間には何の関係もない
――確かに性的指向と性自認を細分化していくと、切りがないですね。
内田 映画『バービー』はセクシュアリティについてのたいへん批評的な映画で、すごく面白かったです。主人公のバービーは「女性はいかにあるべきか」を真摯に求めて冒険の旅をするのですけれど、彼女自身は性器がないんです、人形だから。生物学的に女性じゃないにもかかわらず、彼女は自分を「女性」だと信じているし、女性はこの世界でいかにあるべきかについての新しい、より包括的な規範を示すことが自分の使命だと信じている。でも、バービーに向かって「あなた女性じゃないよ」って誰も言わないんです、この映画の中では。
性器の有無と性自認の間には何の関係もないということは、この映画においてはもう常識なんです。すごいですね。性差というのは社会的に構築された「役割演技」でしかなく、それ以外の要素は(生物学的差異を含めて)性差に関与しないというところまで『バービー』は踏み込んでいる。ここまで来るとさすがに「いっそすがすがしい」と感じました。
でも不思議なのは、この「性なんて、すべて幻想だ」という過激な物語の中でも、性は二つしかないんです。性が全部幻想なら、七つとか八つとか性があってもいいじゃないかと思うんですけれど、それでは「つまらない」んです。性についてのわくわくするような物語が成立しない。だから、性差は純粋に幻想なんだけれど、どれほど幻想的に生きる人間でも「性は二つだけ」というルールだけは絶対に手放さない。それでいいじゃないですか。
内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞を受賞。他の著書に、『ためらいの倫理学』『レヴィナスと愛の現象学』『サル化する世界』『日本習合論』『コモンの再生』『コロナ後の世界』、編著に『人口減少社会の未来学』などがある。