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ペデストリアンデッキを降りて町を歩いていくと…

 いくら広いペデストリアンデッキといっても、いつまでもその上に留まっていてはつまらない。なので、デッキから降りて仙台の町を歩こう。

 

 仙台の町の歴史は、1601年に伊達政宗が広瀬川西側の青葉山に居城を置き、城下町を整備したことにはじまる。それ以前、仙台平野の中心はより海に近い多賀城や塩竈にあったという。政宗公も仙台に移る以前は岩出山に本拠を置いていた。だから、いまの仙台市街地は江戸時代にはじまったというわけだ。

 現在の仙台の中心市街地は、そうした江戸時代に築かれた城下町にルーツを持つ。仙台城のあった青葉山から広瀬川を渡った先から仙台駅にかけて。そのエリアが、昔からの仙台の町並みだ。駅前からまっすぐ西、つまり仙台城に向かって伸びる青葉通を歩く。木々に覆われる並木道なので、厳しい残暑の日差しも幾分かやわらぐ。緑が多いということは、こうした利点もあるのだ。

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 仙台駅前の市街地は、青葉通を軸としてその北と南に繁華街が広がっている。南側には、戦後のヤミ市が発祥という仙台朝市がある。いわゆる仙台の台所。特に観光シーズンでもないのに、たくさんの買物客で賑わっていた。

 
 

 一方の北側には、東西に延びる一直線のアーケード。駅にいちばん近いところがハピナ名掛丁、次いでクリスロード、マーブルロードおおまちと続く長大な商店街だ。アーケードには仙台育英の甲子園準優勝を祝う横断幕がはためく。クルマがメインの青葉通よりも人通りは多く、駅前からの人の流れはこちらが中心になっているのだろう。