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なぜ仙台の町の中心がこの場所にある?

 この国分町を南に歩き、広瀬通の並木道も渡って青葉通方面を目指す。町並みは少しずつ歓楽街ゾーンからオフィスビルゾーンへと変わってゆく。

 そして青葉通にぶつかる手前、日本銀行仙台支店のある交差点。「芭蕉の辻」と名付けられたこの交差点は、実は江戸時代から戦前までを通じて仙台の町のいちばんの中心だったという。

 

 仙台市街地を南北に通る、歓楽街の目抜き通りの国分町通。そしてそれと交差して駅前までアーケード街として続く大町通り。芭蕉の辻は、このふたつの道の交差地点だ。

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 いまでは歓楽街やアーケード街といいつつも、どちらもいずれも仙台のメインストリートとは言い難い。メインストリートというと、青葉通や広瀬通、定禅寺通り、東二番丁通りのほうがふさわしいだろう。

 

 しかし、近世までは間違いなくこのふたつの道がメインストリートだった。国分町通りは奥州街道で、大町通りは仙台城の大手門から広瀬川を渡ってまっすぐ東に向かう大通り。最終的には現在の仙台駅付近も越えて、石巻までを結ぶ街道につながっていた。このふたつの通りが交わる芭蕉の辻は、まさに城下町・仙台の中心というべき位置づけだったのである。

 奥州街道沿いは町人地として整備され、古くから芭蕉の辻周辺は商業地になった。さらに明治に入ると、仙台に東北鎮台(のちに仙台鎮台を経て陸軍第2師団へ)が置かれたこともあって、その後背地として遊郭なども賑わったという。遊郭は移転して去ったが、料亭などが栄えることになり、それがいまの国分町の賑わいのルーツになっている。