1ページ目から読む
4/6ページ目

「蘇我」に漂う“古代ロマン”はどこから?

 そんな房総往還とJR線に挟まれた町の中に、ひっそり佇むのが蘇我比咩神社だ。日本武尊命の東征伝説にまつわる言い伝えがあり、応神天皇が蘇我氏をこの地に派遣。蘇我氏がこの神社を創建したという。

 

 もちろん本当かどうかはまったく定かでない古代も古代のお話なので鵜呑みにはできないが、少なくともこうした言い伝えが「蘇我」という町の成立のルーツであることは間違いなさそうだ。

 蘇我の町は、古くは曾我野といった。江戸湾沿いの港のひとつで、曾我野浦として房総半島と江戸を結ぶ海運の要所になっていた。房総の年貢米をはじめ、〆粕や干鰯などを船に乗せ、江戸に運ぶ港町。17世紀半ばには、かの黄門様、徳川光圀も房総半島から鎌倉を旅するときに曾我野を訪れ、船に乗ったそうだ。

ADVERTISEMENT

 江戸時代の末頃には、房総往還沿いに市街地が形成されていた。183の家が並び、942人が暮らしていたという。今にしてみればだいぶ小規模に感じられるが、房総の港町にしてはなかなかのもの。明治初期のごく短い期間、曾我野藩という小藩が置かれたこともあった。

なぜバリバリの“港町”だった面影が残っていないのか?

 いま、蘇我の町を歩いても、港町としての賑わいの面影は感じることはまったくないといっていい。房総往還筋には古い建物も残ってはいるが、湾岸道路のクルマ通りの多さとは比べるまでもない。町としての中心も例の神社より、圧倒的に蘇我駅前だ。