ジャニー喜多川氏の性被害について、「ファンはどうしたらよいのかすごく迷っているし、苦しんでいると思う」と語るのは、『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)などの著書がある批評家の矢野利裕さんだ。ジャニーズの性加害問題が追及されるいま、あらためてジャニーズの歌と踊りを享受することについて綴った論考を『週刊文春WOMAN2023秋号』より全文掲載する。(全2回の後編。前編を読む。※8月24日に取材し、9月7日のジャニーズ事務所会見を経て、記事化したものです)

9月7日の会見で涙を流した藤島ジュリー景子氏 ©️時事通信社

著書であえて切り離してしまった性加害問題

 たとえば、僕は『ジャニーズと日本』(2016年、講談社現代新書)を書く際に、週刊文春が1999年に行ったキャンペーンと、その後の裁判の詳細を初めて知りました。「ジャニーズの少年たちが『悪魔の館』(合宿所)で強いられる“行為”」などの記事について、ジャニー喜多川氏と事務所が文藝春秋を名誉毀損で提訴した裁判で、2003年、東京高裁が性加害が事実と認め、これが最高裁で確定したわけです。

会見をするジャニーズ性加害問題当事者の会 ©️時事通信社

 このことをいちおう事実として知っていたにもかかわらず、僕は『ジャニーズと日本』に書かなかった。書いたのは、ジャニー喜多川氏の戦後民主主義的な価値観の表現の背後には抑圧された人がいるかもしれないと、つまり仄めかしただけでした。いま振り返っても、なぜ性加害のことを明示的に書かなかったのかと問われたら、その理由を答えるのは難しいです。ジャニーズ文化論を主題に据えるにあたって、そこは触れなくていいのだとあえて切り離した記憶があります。

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 また、2019年に出た『現代用語の基礎知識2020』で、僕はその年に亡くなったジャニー喜多川氏についてコラムを執筆しました。そこでは、〈ジャニーズの芸能活動の裏には、自由を抑圧された個人や権力関係が存在している。ジャニーズタレントからジャニー喜多川個人に対する告発だってあった〉としつつも、「性犯罪」とはっきり書いたわけではありませんでした。どこかで性犯罪やセクハラの問題をゴシップだと見なしていた気がします。

 あと当時は、同性愛者であることを公式には言っていなかったジャニー喜多川氏のセクシャルな指向を書くことは、アウティングになるとも考えていました。今から思えば、被害者以上に加害者を慮ることになってしまっており、その点は認識が甘かったと思います。