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タレントを応援することをやめる必要はない

 いまジャニーズのタレントを応援しているファンは、どうしたらよいのかすごく迷っていると思うし、苦しんでいると思います。僕はネットで一部言われているように、日本人全員が加害者であるとか、ファンが加担していたという発想はできません。言っていることはわかりますが、少なくとも「加害」とか「加担」という言葉は使わないほうがいいと思います。

 ではどう考えたらよいのか。ひとつには、平本淳也さんのような実際に被害を訴えている人が、「ファンが責任を感じているだけで心強い。現在頑張っているタレントに罪はないし努力もしているから、応援することは咎められない」と言っていること。僕は今回の件を理由にタレントを応援すること自体をやめる必要はまったくないと考えます。これまでと同じく応援するに決まっている。けれどその応援は、いま訴えられている被害とその深刻さを忘れることでもありません。

 もっとも、卑近な話として、CDを買ったりコンサートに行ったりしてお金を使えば、組織としてのジャニーズ事務所にお金が入ります。その点の躊躇はなくはないです。そこは今後の事務所の方針を見て判断していくほかないでしょう。

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 他方、芸能の世界をすべて解体すべきという物言いに対しても、正直、違和感を覚えるところがあります。

本当にすごい、生々しい見世物だったコンサート

 かつて国会でジャニーズのタレントの労働問題が取り上げられたことがあります。週刊文春の記事を受けて、2000年5月、国会で自民党議員が、ジャニーズ事務所が児童や年少者を働かせているのは労働基準法に抵触しているのではないかと質問しました。すると労働省の局長は、

「芸能プロダクションの専属タレントにはいろいろ難しい問題があり、報酬が一般の所得水準の数倍にも上るようなケースが多く、労働の対価とは言えないので、タレントは、一般的には労働者とはみなしていない」(第147回国会衆議院青少年問題に関する特別委員会)

 と答弁しました。

 2000年にもなって、国会で芸能界は一般社会と違うと言われてきたわけです。

 歌舞伎界や落語界なんかもそうですが、近代社会にはあるまじき世襲と徒弟制度の中で芸能は紡がれてきました。そういう自分たちとは違う世界で育まれた歌であるとか踊りであるからこそ、僕たちは魅了されているところがあります。良くも悪くも。コンサートや舞台に行って彼らを眺める目は、ある種、商品を見る目に近いところもあります。

 たとえばNEWSのコンサートに行ったとき、宙づりにされた4人を5万人の目がずっと追っている。本当にすごい、生々しい見世物だと思いました。彼らは本当にすごい人生を送っているなと感動しました。そこには、自分たちが見ているのは、見世物小屋的なヤバいものなのだという罪悪の意識が拭いがたくあります。