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一般社会とずれるからこそ、コンプライアンスは守られるべき芸能の世界

 悪しき芸能界をすべて解体しようという物言いに対しては、そのような芸能に接する際の罪悪感や欲望を見ないふりする態度を感じます。表面的に健全化しても、芸能に拭いがたく備わっている罪深さ自体は解消されるものではありません。アイドルビジネスにおけるルッキズムも依然として残るでしょう。そのことをどう考えるのか。

 性犯罪もパワハラも当然のことながら防がなくてはいけないものです。ただ、芸能の論理そのものをなくす発想は、人間のいとなみや関係性をことごとく漂白していくことにつながります。そのことをどう考えるのか。

 もちろん、芸能の世界だからと言ってなんでも許されるということにはなりません。というか、一般社会とずれるからこそ、芸能事務所はいっそうコンプライアンスを守るべきです。少なくともジャニーズは、解体的出直しも含めて、それをやらなければならないでしょう。簡単ではないかもしれませんが、できないことではありません。きっとできますよ。

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9月7日のジャニーズ事務所会見後、松野博一内閣官房長官は政府としては静観を表明した ©️時事通信社

音楽のすごさと危うさ

 ジャニー喜多川氏の性加害と、彼が作り上げたジャニーズ文化を切り離せるか、という問いがあります。

『コミックソングがJ‐POPをつくった』(2019年、Pヴァイン)という本でも書いたんですが、五木寛之の『青年は荒野をめざす』という小説の中で、アウシュビッツを生き延びたユダヤ人の老人が過去を語る場面があります。収容所の辛い生活の中で、聞こえてきた美しいピアノの旋律に感動して覗いてみると、弾いていたのは昼間にユダヤ人少女の皮を剝いでいたナチスだった。まったく許せない人に感動してしまうという話です。

 音楽のすごさと危うさは、そういうところにあると思います。それこそが芸術であり、芸能である。

 ジャニーズの歌と踊りに魅了されてしまったからこそ、ファンはその背後にあった性犯罪という罪と向き合うべきだと思います。そして、その罪深さの意識とともに、あらためてジャニーズの歌と踊りを享受すべきだと思います。むしろ、それが出発点ではないでしょうか。

取材・構成:週刊文春WOMAN編集部

矢野利裕(批評家・DJ)

 1983年東京都生まれ。音楽と文芸を中心に批評活動を行う。2014年「自分ならざる者を精一杯に生きる――町田康論」で群像新人文学賞評論部門優秀作品賞。著書に『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)、『学校するからだ』(晶文社)など。