年間1000本以上のお笑いライブを企画、主催するお笑いライブ専門制作会社「K-PRO(ケープロ)」。その代表を務めるのが、東京の若手芸人たちから「お笑い界の母」と慕われる児島気奈(こじま・きな)さんだ。
今年10月に上梓した『笑って稼ぐ仕事術 お笑いライブ制作K-PROの流儀』(文藝春秋)では、自身とK-PROがいかにしてゼロから東京のお笑いライブシーンの中核になりえたのかを開陳している。
なぜ無名のお笑いライブ制作集団が“なくてはならない存在”へと飛躍できたのか。若手芸人たちのネタ合わせの息遣いが聞こえてくる、K-PROの直営劇場「西新宿ナルゲキ」で話を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
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――児島さんがお笑いを好きになったきっかけを教えてください。
児島 家族全員テレビを見るのが大好きで、中でもバラエティ番組を見るのが好きでした。父親も「野球を見ているお父さん」ではなくて、「バラエティを見ているお父さん」だったんですよね。毎日バラエティ番組を見ることが当たり前になる中で、中学校のときに一大ブームとなる『ボキャブラ天国』と出会いました。
年齢も洋服もしゃべり方も近くて、若手ゆえの少し雑な部分まで見せる……スベっているところも見せて、「おまえ、つまんねぇんだよ!」なんてつっこまれるやりとりにも親近感を覚えました(笑)。『ボキャブラ天国』がきっかけで、若手お笑いが好きになっていったという感じですね。
――『笑って稼ぐ仕事術』を読むと、高校の終わりから大学時代にかけて「ジョビジョバを追いかけていた」と書かれています。ボキャブラ好きだった人がジョビジョバにハマるって、珍しいパターンのような気がするんですよ。
児島 そうなんです。当時、若手お笑いが好きな人って、ジョビジョバさんにハマらないイメージがあったと思います(笑)。初めて目にしたのは、深夜の『さるしばい』というお芝居調のコント番組だったと思うのですが、演劇とお笑いを掛け合わせたお笑いに夢中になりまして。素の人間性が前面に出ていたボキャブラ芸人とは違って、キャラクター性を重視しながら演技をするジョビジョバさんのお笑いとも演劇とも異なるコントが新鮮だったんです。
ライブに何度も通ううちに、テキパキと仕事をこなすジョビジョバのライブ制作担当だった女性スタッフにあこがれて、「私もあの人のようになりたい」と思うようになったこともあって、今でもジョビジョバさんには思い入れが強いです。