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――『爆笑レッドカーペット』が2007年に始まったことで、再び若手ブームが到来します。K-PROにも変化が生じたのでしょうか?

児島 当時は、磁石さんやマシンガンズさんなどに出演していただきながら、なんとか東京のお笑いシーンを盛り上げようとしていました。そうした中で、『爆笑レッドカーペット』が人気になるのですが、私たちのライブに出演してくれていた芸人さんがレッドカーペットに出ると売れていってしまうんですね。

©文藝春秋

 そのこと自体は喜ばしいことなんですが、ライブに出演する芸人の数が追いつかなくなってしまって。人気が出ると、マネージャーさんたちはテレビ側にシフトチェンジしてしまう。私たちは、キャパシティ80席の「新宿Fu-」(新宿永谷ホール)を主戦場にしていたのですが、もっと大きい劇場にチャレンジしていかなければいけないという状況に追い込まれました。

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時には厳しい指導もあった

――テレビに出て人気が出始めると、今さら「新宿Fu-」に出るメリットがないと思われてしまうわけですね。

児島 そうなんです。たくさんのお客さんたちの前でネタをするなら、芸人さんたちも出演する価値が生まれる。ですから、もっと大きい規模のライブを企画しないといけない。実は、こうしたチャレンジも渚さんの助言がきっかけでした。

 渚さん、シャカさん、バカリズムさん、ホーム・チームさんといったメンバーを集めてライブを主催したのですが、キャパシティが120人くらいの目白の劇場で行ったんです。ところが、「このメンバーだったら500人のところでやらなきゃダメだ」って、渚さんからめちゃくちゃ怒られて。主催者がきちんとお客さんを集めて、出すべきふさわしい場所に芸人たちを出さないといけないと。本当にその通りなんです。

 渚さんはただライブを開催するだけではなく、お笑いライブにどんな役割があるかまで教えてくれた師匠みたいな人でした。大きな劇場を借りることは、私たちにとっても大きな挑戦でしたが、どうすれば人が集まるか、どう宣伝したらいいか、まだライブを見たことがないけど興味がある人にはどうリーチしたらいいか――そういったことを考えるきっかけになりました。