「2家族が全滅です」
――武夫さんの出身地には位牌もないしお墓もないのですか
栄さん(原註12)と言う人に聞いても武夫さんの実家にはありません。姻戚関係の人もいないから位牌もなければお墓もありません。奥さんのフミさんは、もともとこちらの出身で武夫さんに嫁いだわけです。栄さんに聞いても武夫さんの知己はないんですよ。姻戚関係の人もおらんから位牌もないし、墓もありません。だから無縁仏になっています。
――ご心境は
私以上に喜之助さんの方がきついと思います。年齢も20歳(原註13)ぐらいだったから十分わかっているし、念仏も唱えていました。何かお経めいたものを詠んでいました。ほとんどが喜之助さんのご兄弟が多いんです。2家族が全滅です。喜之助さんの親類の清助一家4人が全滅、竹市さんの一家は3名が全滅です。
――フミさんは気の毒に……
フミさんは実家がこちらだし、お母さんも存命だから一緒に帰ってきました。お母さんは最近亡くなりました。
――帰ってきた人は皆さん亡くなりましたか
存命しているのは大阪にいる武夫さん、フミさん夫婦の子どものカズイチ(和一)さんと私と喜之助さんの3人。事件の現場におったのは2人です。カズイチさんは当時1歳ですから、事情は分かりません。大阪でタクシーの支配人をしているとか聞いています。
――水平社へ訴えなかったのですか
香川県水平社の委員長は高丸義夫さんでした。俊明さんと親戚ではありません。
――大学の後は何を
京都から帰ってきて西陣の織物、そこの商品を仕入れて婚礼衣装、成人式の衣装などを主体に行商して回りました。兵庫県の淡路島とか、最後は呉服を扱いました。衣料品をやっていました。
――訴えていくところはなかったのですか
その当時は騒然としていました。相当治安が悪化しているから間違われやすいと、災難に遭った人は本当にかわいそうだと、しかし「生きて帰ってきたお前は幸せや」などとなぐさめられたわけや。殺害された人については間違われやすい状態にありました。朝鮮人と思われやすい状態にありました。だから「あきらめなさい」と言われました。水平社に訴えるなどとは思いもよりませんでした。(原註14)