最後に土地の駐在さんが「本官は(行商人一行を)日本人と見なす」と言ってくれました。青年団の団長は「全員が日本人だ」と証言してくれました。ところが駐在さんがいくら日本人であると証言しても、「日本人やったら野田へ連絡とって、野田署の判断を求めたうえで皆さんに納得してもらうべきだ」ということになり、駐在さんは野田に連絡をとるため野田署に行った訳です。
(駐在さんの連絡を受けて)野田署からは部長さんがオートバイで来ておったんですが、それが途中で故障しました。それで農家で馬を借りてそれに乗ってこちら(三ツ堀)に来ました。そうこうしているうちに私たちは太い針金で首をくくられて、両手を縛られたんです。
――針金ですか
鉄の針金です。首から上に抜けられん程度にくくられました。部長さんが「皆さん、9人はもう処置しているわけです。6人残っている者をほどいて……」と。そして私たちは「話があるから」と船頭さんのいる陸の道の方へ呼ばれ、藪に隠れていたのですが出て行った訳です。この時に銃声が2発くらい聞こえました。
鳶口で、日本刀で、猟銃で…
――9人がやられたときの様子は
喜之助さんという人の弟さんの紘一(こういち)さん、それに武夫さん、この方が虐殺の発端になったんです。床几に坐っていたんだけど、立ち上がって近くの農家に煙草の火を借りに行こうとしたんです。それを「逃げよる!」となったもんだから、逃がしたら厄介なことになるというので大勢が「殺(や)ってしまえ!」ということになりました。
第一番に武夫さんの頭に鳶口(原註8)が、後は血柱がパーッとあがりました。紘一さんは一応松林の中に逃げ込みましたが、すぐに追いかけられて、殴ったり突いたりして殺されました。私は武夫さんが殺されるのをすぐ目の前で目撃しました。
――何人ぐらいが集まって来ましたか
最終的に2000人(原註9)ぐらい集まって来ました。というのは、部長さんが 「6人の身柄は預かる。本官は日本人と見なす。ただ本官のいうことが違っていたら皆さんにはどんな申し訳でもする」と言いました。私は警察に一週間置かれました。
――後の人は
竹市さんも亡くなりました。この方は日本刀で肩を落とされました。私らは渡船場の方へ逃げました。これは聞いた話ですが、(竹市さん)は片腕で川の中間まで泳いでいったそうです。
――女・子どもはどうなりましたか
ほとんどは殴られたり突かれたりして息たえだえでした。生き延びようとした人は全員利根川に放り込まれました。猟銃を2発聞いていますが、誰がやられたかは見ていません。
――猟銃でやられたのは誰ですか
武夫さんと紘一さんかも分からないし、見ていませんから……。
紘一さんは鳶口で頭を割られました。武夫さんも鳶口で。竹市さんは日本刀でやられました。駐在さんはこの時連絡をとりに野田署へ行って、現場にいませんでした。一時間ぐらい待たされたでしょうか。惨劇はその間に起こりました。