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来る人来る人が確認もしないで「殺ってしまえ」と

――駐在が待てという間の出来事だったわけですか

 駐在さんは「署の方へ連絡をとって一応、署の承認を経て処置しよう。それまでは手を出してはいかん」と言って立ち去ったのです。上層部の方は「日本人だ」と証言してくれるんです。青年団の団長とか消防団の分団長とか村長さんとか駐在さんとか全員が「こういう方言を使うんだ」と言ってくれたのですけど、野次が多かった。

「こいつらは朝鮮人に間違いない」「殺ってしまえ、殺ってしまえ」と、来る人来る人が確認もしないで「朝鮮人だ、殺ってしまえ殺ってしまえ」というものばかりでした。

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――行商の顔見知りの人はいなかったのですか

 行商で家庭訪問しても、そう何時間もおりません。10分か15分ぐらいしか居りませんから親しい人もおりません。朝鮮人と日本人との見境がつかなかったので、私は君が代を歌わされました。イロハ四十七文字も全部言いました。

「これだけ言うのだから絶対に朝鮮人でない」と幹部の方は言ってくれましたが、大勢の方の中には 「日本に3年おったら君が代やイロハぐらいは覚える、誤魔化されたらいかん」「朝鮮人に間違いない」という人が多かったです。野次が多くてやられたわけです。

――喜之助さんはお経を詠んだと聞いていますが

 お経を詠んだと思います。喜之助さんが一向宗のお経を唱えたと思います。小児まひで足が不自由な人もいました。「私はこんな体だから逃げろと言っても逃げられない。ここにおりますから、皆さんの方で楽に殺してくれるなら殺してください。逃げも隠れもしないから子どもは助けてくれ」と言いました。その間に9名が殺されました。

――川へ連れていかれたのですか

 そうです。9名は全員鳶口かなんかで傷を負わされて絶命した後、一部の人は藪の中に逃げていたが猟銃で撃たれました。銃声が2発きこえたので、これはエライことになったと思いました。

――誰が手を下しましたか

 1人に対して15人も20人もかかってきました。だから同志討ちみたいでした。持っている凶器がぶつかりあって「カチン」「カチン」と音を立てていました。蟻がたかるみたいにたかっていました。

 一週間、警察で保護されて記憶に残っていますが、吉田さんという刑事がおって私が一番最年少でしたから「うちに同じくらいの息子が居るから家へ行かんか」と言ってくれました。二晩ほどその刑事さんの家に泊めてもらいました。そしてその息子さんと遊びました。「ありがとうございます。でもやっぱり郷里に帰らしてもらいます」と言って帰ってきました。