「自分らばっかり、すいません」
その後、豊田、大道、新田の3人は対策本部ができていた漁協に行き、家族が待機する広間に足を運ぶことになった。時刻は、昼の12時を過ぎたころだ。
広い和室には30人ほどが家族ごとにまとまって座っている。酢屋商店から「58号が消息を絶った。詳しい状況は分からない」という短い電話を受け、取るものも取り敢えず駆け付けた乗組員の家族たちだ。助かった豊田、大道、新田が広間に姿を見せると、「よかったね」「大丈夫?」という声が掛けられた。
3人は家族たちの前に立った。
何を語るのか、みんなそれをじっと待っている。
大道が事故の状況を説明した。
レッコボートに上がり、命がつながったことを実感したとき、大道は全身の震えが止まらなかった。赤茶色の船底を晒した第58寿和丸。昨日まで漁をし、飯を食い、冗談を言い合っていた仲間たちは、船首を海中に突っ込むように没した船とともに行方が分からなくなった。あの衝撃的な出来事から、24時間も経っていない。何をどう説明すればいいのか。
大道は、ありったけの勇気をふるい、30人の目線に向かって語った。
衝撃を受けた直後に船がひっくり返ったこと。それから船体が転覆し、1時間足らずで沈んでしまったこと。仲間が船内に残っているかもしれないこと。いったい何が起きたのか見当もつかないこと。
新田も口を開き、わびた。
「一緒に帰って来れなくて……自分らばっかり、すいません」
遺族たちの叫び
家族たちはうつむいたまま泣いている。新田が父親のように慕っていた阿部和男も行方不明だ。その妻が「なんでうちのお父さん助けてくれなかったの!」という、叫びのような声を上げた。3人には返す言葉が見つからない。
家族たちは、互いに顔見知りもいる。そんな広間で、新田に声が掛かった。
「進、うちの父ちゃんの分も頑張れ!」
立ったままだった新田はその言葉を聞いた途端、膝をついて泣き崩れた。
社長の野崎が「信じて待っていてください」と言うと、「お父さん、頑張ってきたのに……」と泣き叫ぶ家族もいた。
広間でのやりとりが一段落すると、3人は報道関係者に見つからないよう外へ出ることになった。漁協職員らが配慮し、裏口から外へ誘導していく。
生存者は疲れている。ショックも大きい。ところが、感づいた記者たちが集まってきた。
3人を車に乗せて出ようとしたら、前に進ませるなとばかりに取り囲まれた。報道陣の1人がいきなり車のドアを開ける。隙間から強引にテレビカメラが車内に差し込まれた。
それを見ていた漁業関係者は激怒した。
「何すんだ!」
テレビ局カメラマンの胸倉をつかみ、車から引き離した。