現場海域には事故のすぐ後から広い範囲で黒い重油が浮かんでいた。そのことは生存者3人も明確に口を揃えている。生きるか死ぬかの洋上で、波にもまれながら油の混じった海水が口に入り込んだ。レッコボートに引っ張り上げようとした時は、油でヌルヌルになり、滑って体をつかめなかった。救助に駆けつけた僚船の乗組員たちも、海面を覆った油の多さに驚いている。
第58寿和丸の燃料油タンクは船底にある。波で転覆したとしても、船底の重油が一気に外へ漏れ出るような構造にはなっていない。「エア抜き(空気抜き管)」と呼ばれる、各燃料タンクから甲板へと突き出た管がある。船体が大きく傾けば油はエア抜きから漏れ出るが、突き出た管の開口部が海中に沈めば、水圧が蓋の役割を果たすため油は漏れ出ない。寿和丸の場合、転覆は一瞬だったから、船底が大きく損傷しない限り、大量の重油が流出することはない。
本当に波で沈んだのか
海上保安庁で福島県を管轄するのは、第2管区海上保安本部(宮城県塩釡市)だ。
2管本部は事故発生直後から宮城県第一記者会に対し、「漁船第58寿和丸転覆海難発生情報」の発出を続けた。事故翌日の6月24日午後5時10分に出された第14報によると、転覆推定位置から南へ約2・6キロの海上で、第58寿和丸のものと見られる油が帯状に浮いているのが確認されていたという。
事故原因について、新聞は早くから「原因は波」との見立てを伝えている。事故翌日の6月24日朝刊では、全国紙・地元紙とも「波」という論調で足並みをそろえた。別々の方向からの波がぶつかり、海面が大きく盛り上がって高くなる「三角波」。それによる事故ではないかという海保関係者や専門家の見解に沿って「原因は波」と全国で報じられていた。
だが、本当に波で沈んだのか。
多くの関係者は波説に疑問を持っていた。3人の生存者、経験豊かな漁協の職員、僚船の乗組員たち。そして酢屋商店社長の野崎も、だ。