豊田 そうなんですよね。
15度ないくらいの傾斜で、上から浸水してきてない。それでどんどん、どんどん傾斜は進行してってる。油も漏れ出す。オモテ(船首)の居住区のどっかに浸水してきてるって考えると、つまり喫水の下(海面下)から浸水してきてんじゃないかと思うと、全部辻褄がぴったり合うわけですよ。で、船が真横に転覆したんじゃない、少し斜め前方傾斜の状態になってから、転覆したんですよ。
村上 うんうん。
豊田 だからたぶん、亀裂が入ってたとすれば、ちょうどこの舷門(接岸時に使う船の出入り口)の付近の下の辺り。ここはオモテの居住区になってます。その下はもちろん油のタンクありますしね。だからと言って、何かぶつかったとかいうことは言ってないですけども……。
村上 船体が破損した、と。
豊田 船体に傷が入ってるんじゃないのかな、と。
村上 としか思えない?
豊田 そうなんですよね。
大きくなる疑念
第58寿和丸の事故から1週間が過ぎた6月30日、海上保安庁の専従捜索が夜7時をもって打ち切られた。現場海域に残る僚船からの情報も目に見えて減ってきた。行方不明になった船長や漁労長ら13人の安否は依然、つかめていない。あれほど熱心だった報道陣も小名浜から姿を消した。
この事故より2週間ほど前の6月8日には東京・秋葉原の歩行者天国で白昼、無差別殺傷事件が起きている。6月末になっても新聞やテレビは秋葉原の事件を繰り返し報道していたが、23日に起きた第58寿和丸の事故は早くも主要ニュースから消えた。
しかし、生存者や行方不明者の家族ら当事者たちにすれば、忘れられるはずもない。しかも、次第に「なぜ」も膨らみ始めていた。酢屋商店社長の野崎は特にその思いが強かった。
どう考えてもパラ泊中にあの程度の波で船が転覆することなどあり得ない。
世間がこの事故を忘れていくことに逆らうように、野崎は次第に「疑念」を大きくしていた。
第58寿和丸は波ではなく、何らかの要因で船体が損傷したのではないか。考えれば考えるほど、自力で調べれば調べるほど、この「疑念」は明確な姿となって見え始めていく。