あの程度の気象条件でなぜ…湧いてきた事故への疑問
事故から時間が過ぎていくにつれ、酢屋商店社長の野崎は「第58寿和丸はなぜ突然沈んだのか」と考えるようになった。もちろん、行方不明者の捜索は続いている。救助活動が最優先だった。それでも、何かの拍子にその疑問が湧くのだ。
幾度となく海の事故を見てきた古参の漁協職員たちも解せなかった。あの程度の気象条件で、なぜ突然135トンもの船がひっくり返ったのか。それに沈むまでの時間も短すぎる。
事故直後に僚船が現場海域に到着した際、風は10メートル、波の高さは2メートル程度だった。漁師にとって、遭難を懸念するような天候ではない。気象庁の基準によれば、海上では風の強さが13.9メートル以上と予想された場合に、最も下のランクの「海上風警報」が出る。
17.2メートル以上で「海上強風警報」。
24.5メートル以上が予想されると、「海上暴風警報」だ。
大道は「漁を控えるのは風が13メートルを超えたとき」と言う。だからこそ、そんなに強い風でもないのに、パラ泊に入ったことがうれしかった。豊田も「連続操業で疲れているだろうから、みんなを休ませようとしたんだな」と漁労長の気遣いに感謝していた。
波も同様だった。2メートルの波は全長48メートルの船を転覆させるほどのものではな
い。生存者3人も波浪で身の危険を感じる状況にはなかった。しかも安全性が極めて高いパラシュート・アンカーを使用中だった。「パラ泊」は安全な漂泊方法の基本として、船舶関係者に定着している。
パラ・アンカーの安全性を漁業関係者に見せつける出来事はいくつもある。代表例は1966年の北海道根室沖での海難だろう。巨大台風による大シケの中、何隻もの漁船が港に逃げ込もうと航行を続け、遭難した。ところが、パラ泊で洋上にとどまった複数の船は遭難を免れたのだ。そうした実例も踏まえ、パラ泊中に転覆した事故例は聞いたことがないと専門家たちも口を揃えている。
流れ出た大量の油の謎
では、寿和丸の転覆要因として風や波浪が考えにくいとしたら、どんな可能性があるだろうか。
現場海域に最初に駆けつけた第6寿和丸の船長は事故後、こう断言している。
「油で海は真っ黒になっていました。船に何かの損傷があったのは間違いないと思います。波によって船が転覆するくらいであれば、そんなに早く船は沈まないし、油だってそんなに大量に流れることはないと思います」