かつての工場街。いまは…
工場は2000年前後に撤退してしまって、その跡地は白鴎大学(我らがタイガースの不動の四番・大山悠輔の母校である)のキャンパスに生まれ変わっているが、プチ歓楽街はいまも健在だ。駅東口から南に向かって歩くとそうした時代の面影を残したエリアを見ることができる。
駅の東にも西にも歓楽街。そして駅前の超一等地にはドン・キホーテ。それでいて、駅の西側を通る国道にはひっきりなしにクルマが通る。これぞ地方都市、これぞ北関東。小山駅は、そうした町の中心に鎮座するターミナルなのだ。
もちろんいまでも小山市内には工場が多く、工業都市としての側面は変わっていない。栃木県内では宇都宮市に次いで外国人が多い町でもあるそうだ。特にブラジル人が多いとか。外国人の人数は7000人程度で、ブラジル人も1000人ほど。だからさすがにブラジルタウンのような雰囲気にはなっていないが、それもこれも工業都市ならではといっていい。
また、お隣の茨城県結城市との関係も深く、結城紬は小山の伝統工芸品のひとつだ。市街地を外れたところには農地も広がり、ハトムギの生産は日本一なのだとか。ハトムギって、いったい何に使うものなのでしょうか……。
そんなわけで、農業・工業が盛んで伝統工芸品もあり、それでいて由緒ある歴史を持つ小山の町。交通の要衝としての重要性は、新幹線時代になったとはいえまだまだ健在である。そして、いまだに都心のマンションがお高いご時世。
東京への通勤圏内、また一方では県都・宇都宮にもほど近いという立地を活かして、これからは“ベッドタウン小山”として新しい立場を確立してゆくのだろうか。小山駅の東口、白鴎大学キャンパスの脇に立つマンションを見ながら、東京から遠くもなく近くもない町の行く末を考えた。
写真=鼠入昌史
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