1958年(93分)/東宝/2750円(税込)

 小林桂樹は不思議な俳優だ。

「普通のサラリーマン」役が得意なことは、自他ともに認めている。その一方で、前回の『首』や『激動の昭和史 軍閥』や『日本沈没』のように、狂気の域にまで達した苛烈な役柄も完璧に演じてのける。実は、役柄も演技もかなり幅が広いのである。

 今回取り上げる『裸の大将』も、そんな小林の演技力に驚嘆できる一本だ。

ADVERTISEMENT

 主人公は、知的障がいと吃音を抱える実在の放浪画家・山下清。芦屋雁之助が演じたテレビ版で馴染みのある方も多いと思うが、映画では小林が山下役を演じており、これがテレビ版を凌駕する見応えになっているのだ。

 物語は戦時中を中心に展開する。坊主頭に薄汚い浴衣姿、うつろな眼差し、訥々と喋り、一心不乱に食べ物を頬張る――。そんな山下の姿からは、事前にそうと知らないで作品に接したら、小林桂樹だと気づかない人がいるかもしれない。それほど他の作品での知的でお堅いイメージから離れているし、完璧に役になりきって変身しているのである。

 そして本作には、テレビ版のようにほのぼのと泣かせる場面や画家として活躍する場面は、ほとんどない。描かれるのは、障がいを持った若者が戦禍を生きる厳しさだ。

 全国民が戦争に向けて突き進む中、彼はただの「役立たず」としか扱われない。そのため、行く先々で差別を受け、邪魔者扱いをされる。

 ある村では教育勅語が諳(そら)んじられないために国賊扱い。勤める駅弁屋では、真面目に働くも失敗続き。次に勤めた定食屋では人がやりたがらない仕事ばかり押しつけられた。

 母親(三益愛子)が一人で生活を支える実家はあまりに貧しく居場所はない。そのため放浪に出たところ、道中では子どもたちから「乞食」と嘲笑われ、ついには精神科病院に入れられてしまう――。

 本作の脚本は水木洋子で、監督は堀川弘通。どちらも冷徹で乾いた作風の持ち主だ。それだけに、毒性の強いブラック喜劇に仕上がっている。全編を通して人間の醜さ、いじましさをこれでもかと突きつけてくるのだ。

 印象的なのは、多くの戦争映画で「被害者」として扱われてきた「一般庶民」にも批判的視点が向けられる点だ。

 戦時中は無敵の神国と思い込んで自ら戦争に邁進してきたのが、玉音放送が流れた途端に我関せず。戦後はアメリカに媚びる。それは山下に対しても同じで、絵が評価されると急に「天才」扱いして誉めそやす。そんな彼らに、山下が一貫して正直な疑問をぶつけ続けることで、一般庶民の無責任な付和雷同の醜さを浮き彫りにしていた。