北海道ヤクザ界はたちまち山口組、稲川会、住吉会を始めとする内地の広域勢力の草刈り場と化したのだ。道内博徒の一本独鈷並びにテキヤ組織は雪崩を打ってその系列下に組みこまれていく。北海道から独立組織とテキヤ勢力の大半が消え去ってしまうのは、あっという間の出来事だった。
そうした状況下、6年半の刑期を務め終え、石間が宮城刑務所を出所したのは、自身が四代目山口組舎弟となった4年後、平成元年1月21日のことである。
私が札幌の初代誠友会本部を訪ね、石間総長を直撃取材したのは、その8日後の1月29日、シバれる昼下がりだった。総長は派手なタテジマのスーツ姿で私を迎えてくれた。
いかな“北海のライオン”とはいえ、シャバに出たばかり、さすがに長い獄中暮らしによる疲れは隠せぬ様子であった。しかも長い間、昼夜独居の拘禁生活を余儀なくされて、一種の拘禁病であるのだろう、「言語障害に陥っている」との本人の弁だった。
だが、取材が始まるや、そんなことは微塵も感じさせなかった。口調こそ重々しかったものの、しっかりと淀みなく、内容も論理的できわめて明快。多くのドンがそうであるように、単なる武闘派ではない、頭の良さが感じられた。
“北海のライオン”が見た北海道のヤクザ界
約7年ぶりに社会復帰して、北海道業界のあまりの変わりように、さぞや驚かれたのでは?──との私の質問に開口一番、
「いや、別に驚きはしない。復帰する前から当然予想された結果だね、こういう状態になるというのは」
との答えが返ってきた。総長はこう続けた──。
「私の場合、北海道の現状もわかってたしね。当時、北海道の極道の大部分が結集して、北海道同行会という組織を作ってたけど、各首脳の考えかたを私なりに分析してみても、あってなきに等しいというか、親睦会の域を超えるものではなかった。対外的なトラブルがあっても、それに対抗できるような組織にはなり得ない、と。それでも同行会の改造を狙っていろいろと手を打ってみたけど、私も道警から常に狙い撃ちされる身で、長い懲役へ行くことになってしまったわけさ。その時点で、今日の事態はもう読めていた。北海道が大手組織の草刈り場になるというのは、私は99%予測できましたね」