アウトロー評伝を数多く手がけてきた著者は、多くの親分たちを取材してきた。いかにしてヤクザたちの懐に入り込み、その生い立ちから極道としての信条までを聞き出してきたのか――。ここでは『極私的ヤクザ伝 昭和を駆け抜けた親分41人の肖像』(徳間書店)より一部抜粋。“北海道ヤクザ史を変えた” 石間春夫総長の壮絶な最期を綴る。(全2回の後編/前編を読む)
「喧嘩が健康の秘訣」武闘派親分の真骨頂
“北海のライオン”こと四代目山口組初代誠友会(本部・札幌)の石間春夫総長を指して、「北海道ヤクザ史を変えた男」と命名したのは、我ながら言い得て妙であったと思う。
それほど石間の下した、ひとつの決断は、北海道ヤクザ社会に激震を齎し、その世界を根本から変革したのは確かだった。
では、その決断とは何であったのか? それこそは自身の四代目山口組入りであり、自ら率いる一本独鈷の初代誠友会が山口組直系組織になることであった。そのために山口組もいち早く獄中の石間に接触し、最高幹部たちは札幌拘置所の総長を訪ね、面会を重ねた、両者の間で暗黙の了解が成り立とうとしていたのは、昭和60年1月のことである。竹中四代目と石間との面会の日程も間近に予定されていた。
そんな最後の詰めを目前にして、突如勃発したのが、一和会ヒットマンによる竹中組長暗殺という衝撃的な事件だった。
だが、それでも石間の山口組入りの固い意志は、些かも揺るがなかった。同年4月5日、山口組定例会においてその旨は発表され、居並ぶ直参組長たちから拍手が沸き起こった。北海道に初の山口組直系組織が誕生した瞬間であった。
この日から北海道ヤクザ界は目ざましい変貌を遂げていく。
圧倒的なテキヤ王国だった北海道ヤクザ界だったが…
それまでは名にし負うテキヤの金城湯池──道内三大組織といわれた源清田、寄居、丁字家を始め、極東、両国家、東京盛代、会津家、花又、武野、木暮、梅家、関東小松家……といった神農組織が全道にひしめいて、博徒といえば、初代誠友会、越路家、鍛冶家、三心会等々の独立組織の他に山口組、稲川会、住吉会、松葉会など内地の広域系列組織が一部、存するだけで、比率から見ても、圧倒的なテキヤ王国であった。
だが、初代誠友会の山口組入りによって、そんな北海道の勢力バランスは崩れ始めた。テキヤ神話も、もろくも崩れ去っていく。