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 事件を振り返れば、発生当初、なぜもっとタバコ入れの捜査を徹底してやらなかったのか、大きな疑問がある。十数年後よりずっとスムーズに製造元や購入者が判明し、時効にかかることなどなかったはずなのに……。捜査が甘かったと見ざるを得ない。それについては推測できることがある。『明治犯罪史正談』には、東京始審裁判所検事によるイライザの尋問記録が載っている。その中でイライザは検事と要点、こんなやりとりをしている。

「自分を殺しに来たと思った」

検事 犯人は強盗と思ったか。またほかに考えは?

 

イライザ その時は自分を殺しに来たと思えた。夫もたぶんそう考えたと思う。しかし、いまになっては、そういった狙いとは思えない点もあり、何とも分からない

 

検事 自分を殺しに来たと思ったのは、何によってそう感じたのか

 

イライザ 自分はほとんど5年間この国にいるが、多くの(外国)人が殺傷されたと聞いている。ことに近来キリスト教に反対する者があると聞き及ぶから、それでそう考えだした

 

検事 それは事件で被害を受けた際に考えたことか、後で考えたことか

 

イライザ 夫が殺害された際、自分を殺すためかと思い、その後、宗教の関係ではないかと思った

 

検事 被害は宗教上から起こったと思うか。それとも、強盗のためと思うか。いまになってはそのどちらと考えるか

 

イライザ いまではどちらとも決めかねる。そのわけは、賊が入ってきた時、「金を出せ」と言いそうなものだが、ただ「用事がある」と言ったからだ。しかし、あるいは、自分が落ち着いているので、かえって彼が戸惑ったのではないかとも思う

『大日本帝国の試煉』は「19世紀の最後の10年間は、日本のプロテスタント・キリスト教にとっては暗い谷間の時代であった。欧化主義の後にきた反動に、教育勅語をきっかけとして起きた教育と宗教=キリスト教の衝突が加わって、政府は陰に陽に教会を圧迫するし、世間の風潮も冷たかった」と指摘。

イライザ・スペンサー・ラージ(『東洋英和女学院百年史』より)

 鹿鳴館に代表される欧化主義の退潮について『東洋英和女学院百年史』もこう記述する。「1887年9月17日の井上馨外相の辞職を契機とし、翌年4月の伊藤(博文)内閣の瓦解によって、退潮は決定的となった」「天皇制絶対主義国家の形成・強化が急速に推進されるが、その過程で、キリスト教は非愛国的宗教として批判され、厳しい迫害を受けた」。同書は「1890年代は、日本のキリスト教にとって暗黒時代であった」と言い切る。

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 検事の尋問に対するイライザの答えにも、一般の日本国民の間にキリスト教への反感が広がっていることへの危惧がにじみ出ている。実際にこの時期、東洋英和学校、東洋英和女学校を含むキリスト教系の学校は例外なく生徒数が激減。ラージ殺しの後にも外国人に対する傷害事件が相次ぎ、同書は「明らかに欧米列強に対する国民的反感の反映が認められる」と書いている。