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畠山 訴えたからと言って、亮夏の障害がなくなるわけじゃない。訴えても訴えなくても、障害があってもなくても、亮夏は亮夏だと思って。言葉にするのは難しいのですが、訴える行為は、これからも障害と共存していく亮夏自身の否定につながるような気がしてしまったんです。考え方は人それぞれなので、訴えるのが良い悪いといった話ではないのですが。

生後9ヶ月で脳性麻痺と診断され、障害を抱えながら生活する亮夏さん(写真=畠山織恵さん提供)

ありのままの我が子を自然と受け入れられた理由

――「ありのままの我が子を受け入れる」と思えるようになるには、時間が必要そうです。なぜ畠山さんは、診断を受けてすぐにそう思えたのでしょうか。

畠山 うーん……。恐らく、私自身が「ありのままの自分」を受け入れてもらいたい気持ちが強かったからかもしれません。

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――そう思うようになったきっかけはありますか。

畠山 私の両親、特に父が昔からすごく厳しい人だったんです。「子どもを強くしたい、良い道を歩ませたい」という思いが、人一倍強かったのだと思います。父の思う「正しさ」から外れた行動をすると、叩かれたり大声で怒鳴られたりしました。

 今なら、「父なりの愛情表現だったのだな」と理解できる部分もありますが、子どもの私がそれを感じるのは難しかった。やりたいことや好きなことを言うと、「現実を見ろ」「くだらない」といつも非難されていました。

 どんな自分なら、父に認めてもらえるのか。どんな自分なら愛してもらえるのか。学生時代は親の顔色ばかり窺って、「自分らしさ」がまったく分からなくなっていました。そんなときに、夫と出会ったんです。

 

――パートナーと出会い、亮夏さんを妊娠したのをきっかけに、結婚して実家を出ることになったそうですね。

畠山 普通、学生が家を出たいと思ったら就職や進学を考えると思うんですよ。でも自分に自信のない私は、チャレンジして失敗することがとにかく怖かった。そこで考えたのが、当時付き合っていた夫と結婚することだったんです。「彼と家庭を築けば、あの家を出られるな」って。

――ご両親からは反対されませんでしたか?

畠山 激昂した父に、殴られたりサボテンを投げつけられたりもしました。でも、私が私らしく生きるためには、このチャンスを逃してはいけないと思い、そのときばかりは自分の意志を曲げなかった。結局最後は、両親が折れてくれましたね。