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ーーひょっとして、教室に福沢諭吉の額入り写真が飾られていたとか。

Amateras O組にはなかったけど、そんな勢いでしたよ。福沢諭吉を、もはや神として崇拝していて。高校で慶應に入った人だと、福沢諭吉といってもお札になってる人ぐらいの認識ですよね。でも、幼稚舎からの連中は「福沢諭吉はすごい人なんだ。慶應は、そんな諭吉先生が作ったすごい学校なんだ」と、徹底的に教育されるので。

 

 ちなみに幼稚舎では、教師を先生って呼べないんですよ。「スギウラさん」とか、“さん付け”で呼ぶんです。なぜかというと、先生というのは福沢諭吉ただひとりのことを指すので。先生すなわち福沢諭吉っていう。

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ーー母校精神に溢れているわけですね。

Amateras 早慶戦は、慶早戦に並び替えますからね。それを幼稚舎の頃から言われます。「早稲田よりも先に慶應が来るんだ!」って。

ーー間違っても“慶応”なんて書かない。

Amateras “慶應”です。当然ですよ。

ーーちなみに、幼稚舎では給食でしたか?

Amateras 給食というか、バイキングみたいな。ホテルオークラが毎回作りに来て、皿に乗った料理を用意してくれて、食べたいものを取っていくんです。美味しかったですよ。

クラスメイトが御曹司ばかり

ーー「O組は学者の子たちがいるクラスだ」と聞いていたそうですが、Amaterasさんは勉強は得意だったのでしょうか。

Amateras どうなんだろ。ちっちゃい頃は勉強ができましたね。小学校に入る前から、どこの塾に行っても算数が数学レベルでできていたんです。なので、勉強ができたから慶應幼稚舎に入れた感じなんですよ。僕の家が上流階級だから入れたわけじゃないですね。

 正直、うちはそこまで上流階級ではないと思うんです。お金持ちではあったけど、お祖父ちゃんが頑張ってお金持ちになって、お父さんが引き継いだだけで。だって、クラスの他の子たちなんて、うちのはるか上をゆく、上流階級を絵に描いたような家の子供でしたから。

ーーどんな家の子たちが?

Amateras 森ビルの一族の御曹司とか北里柴三郎の末裔とか。ほんと、いま思うとすごい家の子たちばかりだったなって。

 だって、幼稚園の頃から趣味がハンティングの子がいましたから。ヘリコプターに乗って、麻酔銃でゾウを撃つのが好きだって言ってました。

ーーAmateras家は、家族旅行などはどういったところへ?

Amateras 大学を卒業するぐらいまでは、年に3、4回は海外旅行に行っていました。ヨーロッパも行ったけど、小学生の頃はアフリカにも行きましたね。

ーー動物の図鑑に夢中になっていたら、ご両親が「じゃあ、アフリカに行こうか」みたいな感じですか。

Amateras 僕、ディズニーがすごい好きで。ちっちゃい頃に『ライオン・キング』にハマりまくって、ミュージカルがあることを知ったけど年齢制限があって観劇できなかったんですよ。で、幼稚舎に入ってミュージカル版を見たら、さらにハマって。その後に、ロンドンとブロードウェイでミュージカルを見たら、アフリカに行きたくなってしまって。で、小4か小5のときにアフリカへ連れてってもらいました。