ではサメ映画の何がここまで我々を惹きつけるのか? 視聴者を置き去りにする奇想天外な設定や脚本に魅力があることは確かだが、ここではサメ映画が持つ3つの「やすさ」、つまり「見つけやすさ」「観やすさ」「語りやすさ」に注目してみよう。
サメ映画に惹かれる3つの理由
かつてサメ映画の主戦場はレンタルDVDだったが、現在は配信に軸足を移している。たとえばAmazon primeやU-NEXTなどの配信サービスにはかなりの数のサメ映画が見放題対象作品としてラインナップされている。
しかも、どれか1作でも視聴すれば、その後のオススメ欄には似たようなサムネイルのサメ映画がズラッと並ぶ。サジェスト機能がひとたびサメ映画に汚染されれば、その魔のヒレから逃れることはできないのである。
また、サメ映画はジャンル映画のなかでもかなりシンプルな構造である。深遠なテーマはなく、小難しい考察要素も要らない。ただサメだけが出ていればそれでいいのである。
さらに言えば、大半が低予算映画のため、画面の情報量も少なく観ていて疲れない。どんなに狂った作品でもとりあえずサメという観点から鑑賞し、その期待に沿う作品だったか否かをジャッジすればいいという、非常に「観やすい」ジャンルなのだ。
もし仮にサメが思うように活躍しなければ不満は残るが、それを友人たちと共有できることにサメ映画の真価があるともいえる。昨今のSNSでは、作品を批判することは非常に難しい。本来自由な感想が飛び交うべきSNSでも、まったく知らない人物から感想を咎められ、作品についてなにか述べることを萎縮してしまう可能性だってある。
ところが、サメ映画は「所詮はサメ映画」というある種の“あきらめ”が共有されているためか、熱心なファンから突然攻撃されることもない。サメ映画自体もかなり自由だが、サメ映画を取り巻く言論空間もまた自由であるがゆえに、「語りやすさ」という魅力がある。
このような独自の「やすさ」(作りの安さも含む)のおかげで、サメ映画は参入ハードルが非常に低く、また広まりやすいのである。とかくSNSで話題になるのも、こうした要素が影響しているはずだ。
ただし、今年になってサメ映画が日本でこれだけ話題性を獲得したのは、サメ映画の特性――すなわち「ジャンルミックス」の容易さに由来していると考えられる。
なんでも飲み込むサメのように、サメ映画はほかの映画のあらゆるジャンルや要素を吸収しながら発展してきた。ゾンビ、幽霊、ロボット、怪獣、ナチス、デスゲーム、はてはエロパロまで、枚挙にいとまがない。
さらに最近は日本が誇る特撮に関わっていた人々が、サメ映画に興味を示し始めた。前述の『妖獣奇譚 ニンジャVSシャーク』は特撮チームで制作されているし、クラウドファンディングで約1200万円を集めた『温泉シャーク』(2024年公開予定)も特撮畑の人々の手によるものである。
私がプロデューサーを務める『松島トモ子 サメ遊戯』(2024年撮影開始予定)も監督はバリバリの特撮オタクの河崎実であり、この潮流の中にある作品だ。
サメ映画と特撮はそれぞれ熱心なファンが多数いるが、基本的には別分野である。しかし、両者を横断するような作品が生まれたことでファン層が一気に広がったのだ。
今後、さらに他ジャンルとの融合を繰り返せば、やがて日本もアメリカに並び立つサメ映画大国になる日が来るかもしれない。とはいえ、サメ映画の本場は依然として海外である。そこで後編の「くるサメ編」では海外のサメ映画トピックに触れながら、本邦が直面している問題についても論じていきたい。
