韓国の人々に無名の奇妙な青年として扱われることも、当時の日本のネットで「なんのトクもないのに韓国なんかに行くのは在日韓国人だからだろう」と書き込まれることも、草彅はあの頃からまるで恐れていなかったように思える。
『チョナン・カン』は、その長い放送期間と、日韓の間に果たした役割にも関わらず、DVDでも配信サービスでもほとんど見る手段が存在しない。筆者自身も正直なことを言えば、放送されていた時代に毎週見ていたわけではない。彼がどのように韓国の人々と交流したか。日本に暮らす在日韓国人と韓国生まれのカップルに、番組の中でどのように関わり、あの時代にそれがどれほど意味のあることであったか。それを書き記して2023年に伝えるのは、本来それをすべきだった大手ジャーナリズムではなくファンたちの個人サイトのみだ。
毀誉褒貶を恐れない
草彅が世間の毀誉褒貶を恐れないのは、そのようにして彼をずっと見守るファンたちの存在を知っているからなのかもしれない。SMAP解散の前後、ほとんどの業界人が「新しい地図」の3人に背を向けた。そしてジャニー喜多川の死、公正取引委員会による排除行為の是正勧告、BBCの報道からはじまる性被害告発によって、業界人たちが別人のように再び手のひらを返すのも目の当たりにしたはずだ。それは『ブギウギ』の中で羽鳥善一が経験する、戦中と戦後ほどにも隔たりがある、人間不信になりかねないほどの落差だったはずである。
そうした時代の中で、変わらないものは唯一、ファンたちだけだった。2018年に『クソ野郎と美しき世界』が期間限定で劇場公開された時、劇場を埋め尽くしたファンたちの光景を今でもよく覚えている。筆者は当時まだ物を書く仕事などしたこともなかったが、映画の第三部でヤクザを演じる草彅の演技の素晴らしさ、そして芸能界から干された彼らを支えるファンの熱さを当時のツイッターに興奮しながら書き込んだものだ。
草彅は昔から、自己アピールをあまりしない。『チョナン・カン』にどれほど先見の明と社会的意義があったかも、自分の演技にどのような意図があるかも自ら語ることは少なく、見るものに任せている。たとえ世間が何度手のひらを返しても、演技の意味を理解しない視聴者がいたとしても、草彅が何も恐れずに自分の心に従う芝居ができるのは、あの劇場を埋めたファンたちがいるからかもしれない。