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 では羽鳥は、スズ子に優しい寛容な人物なのか。そうではない。「福来くんは今、歌っていて楽しかったかい? ワクワクした? 楽しくなるまで何回も行こうか」そうスズ子に語りかける羽鳥の目には、顔の微笑みとは裏腹に真剣な光がある。その言葉の通り、羽鳥は何十回、何百回とレッスンを繰り返す。声を荒げることも、苛立つことも、怒鳴りつけることもなく、ただ「もっと楽しく」と微笑みながら。

『ブギウギ』には、鳥羽善一役で出演(番組公式Xより)

「楽しさ」を追求する厳しさ

 この脚本が書かれ、撮影が行われたのは、宝塚歌劇団のいじめ・ハラスメント問題をめぐる議論が社会を揺るがしている現在よりはるかに前のはずである。だが結果的に羽鳥とスズ子のレッスンのシーンは、「未熟な練習生を過剰に厳しく指導するのはパワハラではないか」「しかし芸術の達成には厳しさを伴う鍛錬が避けられない」という論争に対する、ひとつの回答に期せずしてなっていた。それは『ブギウギ』の脚本に血肉を与え、羽鳥の人物像を説得力をもって作り出した草彅の演技力の賜物でもあった。

 怒声や権威で威圧し圧倒するのではなく、静かに微笑みながら「それでは楽しくない」と何度もレッスンを繰り返す羽鳥の姿は、「楽しさを追求する厳しさ」というパラドックス、芸術の深みに主人公を導いていく。

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 物語が進み、戦争の影が色濃くなるにつれ、羽鳥の飄々とした人物造形、チェンジアップのような台詞回しは、軍国主義の中で統制を強める社会との緩急差をさらに鮮明にする。怒声をあげる憲兵、運営に苦しむ会社、そうした暗い戦前の空気の中で、いわば「カンタービレ(歌うように)」でフワリフワリとセリフを投げる羽鳥の姿に、視聴者はそれが戦争の時代に対する稀代の作曲家の抵抗であることを感じる。

(番組公式Xより)

『ブギウギ』第10週「大空の弟」で、スズ子の亡き弟をテーマにした曲を手渡す羽鳥の声には、それまでにない深く重い響きがある。それは単なる緩急のチェンジアップを変えて、時代の風を受けてその意味を変化させる、魔球と呼ばれるナックルボールのように揺れる見事な演技だ。以前から多くの作品で草彅の演技力に舌を巻いてきた筆者から見ても、羽鳥善一役は彼の代表作の一つであるように思える。