「志の輔さんはそのベッド、俺は、志の輔さんが落語の練習で使う座布団を床に敷き、その上で寝た。実はそのとき、大失態を犯してしまった」……明治大学の落研時代、先輩の立川志の輔宅で渡辺正行さん(67)が犯した失態とは?
当時のエピソードを、著書『関東芸人のリーダー お笑いスター131人を見てきた男』(双葉社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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“紫紺亭志い朝”襲名日の失態
明治大学の落研にとって、1年のメインイベントは、和泉キャンパスと駿河台キャンパスでそれぞれ開催される文化祭、「和泉祭」と「駿台祭」だ。
部員全員がそこで落語を披露することになるため、誰もが納得できるものにしようと、日夜練習に励んでいた。
ただ、俺は、2年先輩の志の輔さんに憧れていたが、本人がどんなふうに練習し、どれだけの努力を積み重ねていたのか、まったく知らなかった。
1、2年生が、自分の拙い落語を先輩たちに見てもらい、落語のテクニックを具体的に教わることはあっても、一緒に練習することがほとんどなかったからだ。
落語の勉強のために、新宿末広亭をはじめとした寄席、劇場やホールで開かれるホール落語によく行った。
特に、当時の新宿末広亭は、大学の落研に所属していると、落研割り引きがあったから、貧乏学生としては、本当にありがたかった。
そこでプロの落語家の落語を見て、「ああ、これはいいな」と感じた話し方や見せ方、間などを勉強した。
では、一緒に練習することがない落研の先輩たちとどこで交流していたかというと、ほとんどが雀荘か飲み屋だった。
和泉キャンパスがある明大前駅周辺や駿河台キャンパスがある御茶ノ水駅周辺などの雀荘で、先輩たちと麻雀をしながら、笑いや面白さとはどういうものなのか、いろいろと教えてもらったり、その流れで飲み屋に繰り出すことが多かった。
3、4年生が1、2年生を飲みに連れていき、飲み代を払うのが落研の慣例になっていたのだが、自分が下級生のときはよかったものの、上級生になったときは、経済的に、かなりきつかった。
それでも、後輩におごれない先輩ほど情けないものはないので、そのために、生活費をずいぶん切り詰めたものだ。