1ページ目から読む
2/3ページ目

 志の輔さんにもよくおごってもらった記憶があるが、最も印象深い思い出は、1976年2月、高座名をもらうために一緒に飲んだ夜のことだ。

 明大の落研には、自分が3年生になる前に、代々引き継がれてきたいくつかの高座名を襲名する伝統がある。

 俺としては、心酔する4年生の志の輔さんがちょうど卒業するタイミングだったので、高座名を引き継ぎたかった。

ADVERTISEMENT

落研で先輩だった立川志の輔さん ©文藝春秋

 その名前は、古今亭志ん朝ならぬ、紫紺亭志い朝。

 紫紺亭の紫紺は明大のスクールカラーで、志い朝は「C調」という言葉から来ている。「調子いい=ちょうしー」を引っ繰り返したもので、『サザンオールスターズ』のヒット曲に『C調言葉にご用心』があるように、軽薄で調子いい人といった意味だ。

5代目志い朝は、あの立川志の輔

 志の輔さんは、その紫紺亭志い朝の5代目だった。

 その夜、俺は、志の輔さんが住んでいた世田谷区代田橋のアパートまで足を運んだ。

 紫紺亭志い朝を襲名したい旨を伝えると、

「そうか。お前がもらいに来たのか」と答え、地元の寿司屋に連れていってくれた。

 しかし、俺は、それまで寿司屋に入ったことなどなかったため、カウンターに座っても、何をどうしていいのか分からなかった。ただでさえ、襲名の話をするだけで緊張していたところに、寿司屋が俺に拍車をかける。

 しかも、寿司屋に馴染んでいる志の輔さんが、小柱を頼む。

「えっ、小柱って何? 小さい柱が出てくるの?」

 さらに動揺……。

「じゃあナベ、これから6代目としてしっかりやっていってくれよ!」

 志の輔さんには、そんなふうに快諾してもらったのだが、緊張しながら、寿司や刺身を肴に酒を飲み続けているうちに、俺は完全に泥酔してしまった。

 結局、葛飾区新小岩にある自宅のアパートまで、とても帰れそうな状態ではなかったため、その日は志の輔さんのアパートに泊めてもらうことになった。

 部屋はとても綺麗に整理整頓され、当時一人暮らしをしている学生には珍しかったちゃんとしたベッドまであった。

 そして、志の輔さんはそのベッド、俺は、志の輔さんが落語の練習で使う座布団を床に敷き、その上で寝た。

 実はそのとき、大失態を犯してしまった。