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「多くの人が集まる大会で、敵から攻撃されたらどうする」という懸念に…
この交渉の中で、陸軍戸山学校側はまず、
「多くの人々が集まる大会の場合、敵から攻撃された時に一度に大きな被害が出る危険性がある」
という危惧を指摘した。これに対し、関東学連は、
「常に場所を移動する駅伝は、道路に沿って人が分散するため、大きな被害は出にくい」
と返答。そのような懸念は無用であると主張した。加えて関東学連は、
「長距離を走る駅伝は、基礎体力を養う意味がある」
「戦技(軍事教練)としても妥当な競技である」
といった点を強調して交渉を進めた。
関東学連が提案した“秘策”
「青春とは何もかも実験である」と綴ったのはイギリスの作家、ロバート・ルイス・スティーヴンソンである。当時の関東学連の奔走は、この至言を想起させる。
陸軍との交渉に際し、関東学連側はさまざまな知恵を巡らせていた。難しい議論の中で、一定の譲歩は当然の選択肢である。
そこで、関東学連は新たに「戦勝祈願としての駅伝大会」という要素を提案することにした。従来の「報知新聞社前と元箱根郵便局の往復」というコースを「靖國神社と箱根神社の往復」に変更し、「レース前に戦勝祈願の参拝を行う」という案を提言したのである。
軍人や軍属を主な祭神として祀っている靖國神社と、同じく皇室や武家の崇敬を長く集めてきた箱根神社を大会に組み入れれば、陸軍側の理解を得やすいのではないかという着想であった。