「家で死ぬ」という固い意思
末期腎不全に加え、腰椎圧迫骨折で日常生活が困難になった父だが、それでも「家で死ぬ」という意思は変わらなかった。
在宅死の希望を叶えるためには介護だけでなく医療体制、たとえば24時間、365日、緊急時の対応をしてくれる訪問診療クリニックの利用が不可欠だ。
ところが肝心のクリニックが見つからなかった。ホームページには「訪問診療」と書かれていても、実際に問い合わせると「外来休診日の週に1日だけ」とか、「医師不足で新規の患者は受け付けられない」などと返ってくる。
24時間、365日体制で在宅医療に対応するクリニックは、在宅療養支援診療所と呼ばれる。実際に「在宅看取り」を行う診療所は、全国の診療所全体のわずか5%に過ぎず、当時の私はそういう知識も持っていなかった。
やむを得ず外来専用の個人クリニックに通院するしかなかったが、こちらはこちらで末期の高齢患者を持て余し、「早く訪問診療クリニックに移ってください」と敬遠される。
前述したように、要支援2の脆弱な介護体制の上、訪問診療をしてくれる医師もいない。私は仕事の傍ら遠距離介護をつづけ、ケアマネジャーをはじめとして周囲の協力を得ながら、なんとか父の願いを叶えようと奔走した。
父と娘の衝突
一方で、何度となく父とぶつかり、対立した。元教員の父は頑固で、よかれと思って意見しても容易に耳を貸さない。介護事業所からの緊急呼び出しで出張先から駆けつけても、迷惑そうな顔で不貞腐れたりする。
やってられない、もう死んじゃえばいいのに……、黒々とした感情が押し寄せ、心身の疲労は深まるばかりだった。
それでも父と関わらざるを得ない日々の中、思いもしなかった本音を知り、深く考えさせられることも少なくなかった。
たとえば父が人工透析を拒んだ件。私には現代医療への理解力のなさ、単に現実逃避しているように見えていたが、本当のところは違った。あるとき話し合いの中で、突然父が涙を流した。
父が吐露した本音
「ずっとがんばってきたけど、もう疲れた……」
明るくしっかり者だった伴侶の母が亡くなり、きょうだいや親しい友人も次々と旅立っていく。
多少の近所づきあいがあるとはいえ、ネットもスマホも使えない超高齢者の父は日がな一日、これといった楽しみもないままひとりの時間を持て余す。
大病院でのカード式自動受付やスーパーの自動精算機に対応できず、テレビのニュース番組では「詳しい情報はQRコードを読み込んで」と流れてちんぷんかんぷん。