東京と富山での「遠距離介護」を選んだ理由
――東京と富山となると移動が大変だと思いますが、なぜ「遠距離介護」という方法を選ばれたのでしょうか。
柴田 父が2016年に亡くなったとき、1人になった母に「どうする? 東京に来る?」と聞いたら「絶対に嫌だ」と言ったんです。「富山には親戚もいるし、きょうだいもいるし、知り合いも友達もいっぱいいるから、私はここで生きていきます」とはっきり意思を示していました。
――それで、東京に呼び寄せるのはなしになったんですね。
柴田 そうです。でも、母が病気をしてしまったことで「ここからは介護が必要になりますよ」ということになり。私が仕事を辞めて富山で一緒に住むことも考えましたが、昔から母は「親子だからって互いに依存しあったり頼り合う関係は好きでない」という考え方をする人で。「あんたの人生はあんたの人生、私の人生は私の人生で別物だ」と。
それで、私は生活拠点を変えることなく、母の「富山で1人暮らしを続けたい」という願いを叶えるために、遠距離介護で今後のリハビリや生活を全力でサポートしようと決意しました。
最初は「なんとかやっていける」と思っていたが…
――「遠距離介護」という介護の方法があることを、柴田さんはもともとご存知だったのでしょうか。
柴田 当時は全然知らなかったです。だから最近できた言葉なのかなと思ったら、実はずっと前からあったんですって。
だけど最初はどうしたらいいかわからないから、担当医の方、ケアマネージャーさん、ヘルパーさんなどにチームを組んでいただいて、ベッドはどういうものがいいかとか、手すりはどこにどんな風につけるのがいいかなどの助言をいただいて。母が介護老人保健施設にいる間に、家に戻ってからの生活の準備を進めました。
――遠距離で介護をしていくなかで、不安や心配はありましたか。
柴田 もちろん不安でしたけど、毎日電話をしていたし、母は具合が悪くさえなければきちんと自分でごはんも作っていたので、最初の方は「なんとかやっていける」という感じでしたね。
ただ、軽い病気で少しだけ入院して、施設でリハビリをしたあとにまた1人暮らしを再開した際に、転倒して圧迫骨折したことがあって。そういうことを3、4回繰り返していたので、さすがにそれは心配でしたけれども。