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柴田さんはどのような体制で遠距離介護を実践していたのか?

――具体的には、どのような介護体制をとられているのですか。

柴田 最初にケアマネージャーさんとプランを相談して、介護施設でのデイサービスは月曜と金曜の週2日、ヘルパーさんが自宅に来てくださるのが火曜、木曜、土曜の週3日にして、週に1日、水曜日だけは母が自由に使える時間を作ってもらいました。

 母は昔、教員をしていて、退職後もずっと地元の人たちに謡(うたい、能の声楽部分)やお茶を教えていました。1人暮らしの母にとっては、かつての教え子の方々やその子どもたち、孫たちと関わる時間が支えになっていたんですね。だからこそ、週に1日だけ自由に使える時間を作ることで、謡やお茶を教えたりもできるし、その日を狙ってみんなが会いに来てくれたりもします。そうやって、いつも誰かが母と関わってくれるような仕組みにしたわけです。

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――初めてだと介護は何をどうしていいかわからない部分が大きいと思いますが、専門家の方に相談ができると安心ですね。

柴田 そうですね。それで言うと、うちは母の介護が始まる前、父が病気になったときに、母と親戚の人が一緒に介護について色々と考えてくれたんです。行きつけのお医者さんもお世話をしてくれたし、ケアマネさんに来てもらったりヘルパーさんにも頼ったり、デイサービスを利用して、というのをずっとやっていたので、それが予行練習のようになったと言いますか。

 だから母の時は私自身、わりとすんなり公的介護サービスに連絡したりすることができましたね。

 

舞台があると富山に2、3ヶ月行けなくなることも

――柴田さんはお母さまの介護で、富山にどれくらいの頻度で通われていたのですか?

柴田 家を片付けなきゃいけなかったり、自分の仕事が落ち着いているときは1週間に1回、2週間に1回くらいの頻度で帰っていました。母がケガをしてちょっと大変な時期なんかは、もう少し頻繁に帰っていましたけれど。舞台の仕事が入ったりすると、稽古の期間や地方公演もあるので、2、3ヶ月身動きが取れなかったりして、それが大変ですね。

 ただ、病院とかだとタブレットを置いて、顔を見ながら電話で話せるようにしてくれているんです。「他の人の予約もあるので、柴田さんばっかり使うわけにはいかないんですよ」と言われちゃうので、それは週に1回か2回くらいしか使えないんですけど。