2023年11月12日に急逝した、シンガーソングライターのKANさん。彼の最大のヒット曲「愛は勝つ」は、発明だ。
タン! タラタン・タン・ターン・ターン!
イントロで心の扉を蹴り、そのまま強い歌声で「心配ないからね 君の想いが 誰かにとどく 明日がきっとある」(作詞・作曲:KAN)という殺し文句が入ってくる。
愛なんてケッ、人なんてペッ、とヒネていた気持ちも、この最初の数秒で簡単にほぐされ、すべて聴き終わった4分7秒後にはすっきり、ホッとする。奇跡の心シンプル化装置だ。
しかも、そんな「愛は勝つ」のB面に「それでもふられてしまう男(やつ)」というタイトルの楽曲を持ってくるセンス――。KANさん、一筋縄ではいかないアーティストである。
この「愛は勝つ」は、1990年9月にリリースされ、売上枚数累計201万枚(オリコン調べ)という空前のヒットになり、見事、1991年末の第42回NHK紅白歌合戦に出場を果たした。
紅白歌合戦初出場の戸惑い
しかし当時の紅白は、迷走期であった。1985年頃から視聴率が下り坂となり、1989年には、当時のNHK会長・島桂次が定例会見で「今年で紅白は終わりにしたい」と発言。結局抗議が殺到し紅白は続くことになったが、翌年の1990年末には「地球規模の紅白」と極端にふり幅を広げ、外国人歌手が多く出場。海外からの中継も増え、お茶の間をどよめかせていた。
KANさんが出場した1991年も紅白の国際化ムードは続いており、スモーキー・マウンテンやアンディ・ウィリアムス、ザ・ベンチャーズ、ライマ、サラ・ブライトマンが出場。
日本人歌手は、SMAPやDREAMS COME TRUE、とんねるず、X(現X JAPAN)、槇原敬之が初出場。ある意味超豪華な紅白だったともいえる。
KAN公式サイト内「金曜コラム」には、そのときの様子が書かれている。