「俺は当時、女というのは三歳上の姉さんか祖母さんしか知らないわけです。祖母さんはでかパンをはいてましたからね(笑)。だから黒いスリップを見た時は、ドキッとしましたもんね」
若かりし頃は母親を「一個の女」として見ていたというタモリさん(78)。ときには、下着姿にもドキッとしたというタモリさんと母親の“特別な関係”とは――? ライターの戸部田誠(てれびのスキマ)氏の書籍『タモリ学』(イースト・プレス)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「旦那が出張だから飲みに行こう」
タモリの母は「かなり翔んではいた人」(『愛の傾向と対策』タモリ、松岡正剛/工作舎 1980年)だったという。
「おふくろは、あの歳には珍しく、道徳的なことはひと言もいわない」「『かくあらねばならぬ』というものが、一切ないです。それは、その上の祖母さんも同じですね」「いまだに、どういう女なのか実体がつかみにくいですね」
タモリは80年代中頃、村松友視との対談で、「最近、ちょいちょいおふくろと付き合うようになって、いろいろ話を聞くんです」と語っている」(『ビッグトーク』文藝春秋・編/文藝春秋 1986年)。横浜に住んでいる母と、彼岸や盆暮れなどの機会に、年に2回ほど会うのだと。時には「旦那が出張だから飲みに行こう」という手紙が来ることもあったという。この頃は60歳を越えていたが、酒はタモリより強かった。
「一応薄化粧したおふくろが訪ねてきて『ああ、そうか』って言って酒を飲んで、『じゃ、今日は泊っていけよ』って、本当に楽に付き合えるんですね」「(母親と)ドロドロした人間関係がまずないというので、本当に気が楽ですね。これが最高のおふくろとの付き合い方じゃないですか」(『ビッグトーク』文藝春秋・編/文藝春秋 1986年)
その「翔んでいた」母を象徴するエピソードがある。
17か18歳の頃に「東京―満州大逃避行」事件があったというのだ。
「反対を押し切って満州から東京に来て、悪い奴に騙されて犯されそうになって、それで監禁されて、命からがら逃げ出して満州まで一人で帰ったんです」(『ビッグトーク』文藝春秋・編/文藝春秋 1986年)