神奈川県警の特高刑事たちが集められ、日蓮会の青年たちは分散留置されることになった。そんな時も指導者の一人が、「死のう!」と叫ぶと全員が唱和するのだから、やはり不気味な集団ではあったわけである。
神奈川県警は、「これは第二の血盟団事件だ」と判断して、日蓮会をテロリスト団体だと決めつけた。当時、神奈川県警の特高警察は、左翼、右翼にかかわらず残虐な拷問を行うことで恐れられていた。「カナトク(神奈川県警察部特別高等課)」という隠語じみた呼び名は、思想犯にはまさに拷問警察という意味だったという。
死のう団の青年たちはそんなことは知らない。こうして警察に捕まるのも「法難」であるという受け止め方だったのである。
青年たちがどういう拷問を受けたかは、彼らが釈放の後に詳細に書き残している。
そういう資料を、私はほとんど読んだのだが、実際にこんなことができるのかという凄まじい仕打ちであった。とにかくテロの団体にデッチ上げようというのだから、特高警察は、虚偽の計画を新聞などに次々と発表している。昭和8年7、8月の新聞をめくるとよくわかるのだが、東京日日新聞、都新聞、東京朝日新聞、国民新聞、横浜貿易新聞、読売新聞など全ての新聞に、死のう団なるテロ団体の計画暴露、大陰謀の内容などという見出しの下、まったく事実無根の計画が次々と報道されていく。
その計画なるものは、増上寺の焼き討ち、日蓮宗寺院の焼き討ち、日蓮宗の幹部殺害計画、田中智学、西園寺公望、田中光顕などの暗殺計画などだったというのだ。盟主の江川桜堂に命を捧げての身だから命じられたら実行するという組織で、血盟団事件、神兵隊事件などに連なる危険な団体であるというのが特高警察の描いた壮大な虚報であった。
こうした虚偽のテロ計画は、この時逮捕された青年たちには考えも及ばない内容であった。ごく普通の平凡な青年たちにとって、日蓮の教義に自らを託するという生き方を目指しているのに、お前たちはこういう人物を殺そうとしているんだろう、白状しろと殴られる、蹴られる、柔道の道場に連れて行かれて何度も投げ飛ばされる。そういう拷問の連続で、言われたことに逆らっても仕方ないと、つまりは「はい、はい」と言われた通りに頷く以外になかったというのだ。