山森 普通のクマが主に食べている草木や木の実などをほとんど食べておらず、かなり肉食に傾いていました。OSOは死んだとき9歳6カ月でしたが、初めて牛を襲ったのは、5歳5カ月。その前から、日常的に肉を食べていた可能性が高いという分析結果でした。専門家の方に聞くと、いったん肉食を学習してしまったクマは、肉に執着して、そこから抜け出せなくなり、自然本来の行動を失った可能性が考えられるのではないか、ということでした。
「OSO18」とは何だったのか
牛の乳量を増やすために改良された牧草を食べて道東で爆発的に増えたエゾシカ。その死体の肉をどこかで口にして、OSOは肉の味を覚えたと考えられる。デントコーンに引き寄せられてやってきた牧場で牛を襲うことを覚え、人間の追跡を逃れ続けた末に、誰にも知られぬまま、その生涯を終えた。
1年半もの間、その影を追いかけてきた山森と有元にとって、OSO18とは、何だったのだろうか。
山森は「難しいな」と顔をしかめながらも、こう答えた。
「OSO18は何者だったのか。やっぱりどこまで行っても分からないという感覚が今も僕にはあります。でも、その理解できない残余みたいなものの手触りが番組にあったらいいなと思います。確かなのは、OSOの食性も含めて、人間という集団というか種が持つ圧倒的な影響力が、1頭のヒグマに映し出されていることでしょうか。……僕らは企画書の最後に〈見えない怪物に、人間は何を見るのか〉と書きましたが、僕ら自身も含めた人間自身を見たんじゃないかな、と思っています」
一方の有元は「OSO18という『名前を本来持たなかったはず』の生き物」のことを考えたという。
「人間の場合、名前を持たないことは不幸じゃないですか。番号で呼ばれる受刑者とか、人権をはく奪されることの象徴が名前を奪われることですが、野生動物の場合、逆ですよね。名前を与えられるというのは、野生から切り離されることなので、不幸でしかない。9年6カ月前に名前もなく生まれた1頭のオスのヒグマが『OSO18』として死んでいくというのは、いったいどういう意味があるんだろうと。人間が勝手に名付けてイメージを作りだして、そのあげくに駆除して、食べちゃったという物語でもあったわけで。やっぱりこれはクマの話ではなくて、人間側の話だったんだなと思います」
2人の話を聞いて、腑に落ちたことがある。なぜ私も含めて、人々が「OSO18」の物語に夢中になるのか――。それはOSOを通して、自分たち人間の姿を見ていたからだったのかもしれない。