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ーー足首は変色していただけ。

宮原 よく見たら、めちゃくちゃ腫れてました。足の中心部のほうが折れていて、体重が掛からないとそれほど痛まなかったようなんですよ。それで痛くなかったようです。

 だから、サポーターでも大丈夫でしたね。撮影では、足首の骨折以外にも怪我することが多くて、その度に監督やプロデューサーが両親にも連絡してくださったんですけど、親は「動けてるんですよね? じゃあ大丈夫です」って(笑)。

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映画を通じて“体を動かすことが好き”というのを再確認

ーー楽しさとしんどさが半々だったそうですが、俳優の楽しさみたいなものに目覚めたのでは。

宮原 「俳優って楽しいな」というよりも「アクションって楽しいな」って感じでしたね。やっぱり自分は体を動かすことが好きなんだなって再確認したというか。

 

ーー映画で主演する一方で、空手のほうはどんな感じだったのでしょう。

宮原 もう、選手になろうとは思わなかったですね。あちこちの怪我が結構つらかったし、怪我で休んだときのブランクも長すぎて。一緒に空手をやってた子たちは高3でインターハイ優勝するっていう目標を掲げていたので、私は高3までに何かの主役を取ろうって頑張っていた感じですね。

芸能界で成功したら退学する覚悟で進学

ーー日本体育大学に進まれていますが、空手が絡んでの入学ではなかったのですか。

宮原 裏方のほうに興味を持って、柔道整復師の資格が取れる学部に入ったんです。自分が怪我することが多かったのもあるし、舞台や映画の現場で怪我をする方って結構多くて。そういう怪我した方を目にしてきて、支えられたらなって気持ちがあって。あと、女優として食べていける気がしなかったので、手に職を付けたいとも考えて入りました。

 空手自体は好きだったので、大学に入学してからも地元の道場に顔を出して、ちっちゃい子たちと遊んだり、軽く教えたりしてました。でも大学内では気配を消していたというか、空手的なイメージを完全に消してましたね(笑)。

 

ーー大学ではどんな学生生活を送っていたんですか。

宮原 「芸能界で成功したら退学する」って覚悟を持って入ったので、そうなったら別れ難くなったりするので友達も作らないで、ひたすら勉強しようって考えてたんです。だから、みんなが「どこに入ろうかな」ってサークルを見て回ってるなか、全然1人で帰ってたし、最初の頃は友達もそんなにいなくて。

 だけど、友達がほんといい子ばっかりで。「芸能やってるんだよね」と話したら、休んだ期間のプリントを全部見せてくれたり、「テスト、ここ出るって言ってたよ」って教えてくれたりとか。メチャメチャ支えてくれて。