1ページ目から読む
3/7ページ目

周囲の道路より一段低いところになにやらスペースが…

 そんな工業地帯を歩いていると、周囲の道路よりも一段低いところに細長く広がっている公園があった。

 その公園を跨ぐ道路はいかにも橋。きっと、かつて使われていた運河を埋め立てた公園なのだろう。この公園と駅に挟まれた一角は住宅地になっている。間を抜けて、北側の踏切を渡って駅の西側に足を進めてみよう。

 

 四日市駅の北側を、海側から西に向かって線路を横切って走る道。この道は、それまで歩いてきた筋肉質な町並みとはひと味違っている。歩道には屋根がかけられていて、昔ながらの商店が建ち並ぶ商店街になっている。

ADVERTISEMENT

 歩道の屋根は、東海道の宿場町が品川宿から順番に紹介されている。四日市も、東海道の43番目の宿場町だったから、それにあやかってのものだろう。

 
 

四日市という町の“ふたつのルーツ”

 四日市という町のルーツを辿ると、ふたつの性質を持つ都市であったことがわかる。ひとつは、いうまでもなく東海道の宿場町。南部の日永は伊勢街道と分岐する追分になっていた。

 そして、もうひとつは港町だ。四日市の港は、宿場町が整備される江戸時代以前からかなり賑わっていたようで、戦国時代には港町としての四日市が確立されていた。四日市という名は、四の日に市が立ったことから。少なくとも定期的に市が立つくらいには発展していたようだ。