なお、JR四日市駅は1890年、近鉄四日市駅は1913年に開業している。JRの四日市駅が開業した時点(当時は関西鉄道の四日市駅)では、市街地は東海道沿いの宿場と港をつなぐ道沿いくらいだった。
JRと近鉄の“距離”から透けて見える「この町の20世紀」
近鉄の四日市駅は、いわば町外れに開業した新しいターミナル。旧宿場町には近かったが、すでにJRの四日市駅があったわけで、市街地の重心は少々東に傾いていた。近鉄(当時の伊勢電気鉄道)は、わざわざいまの中心市街地を東に走り、JRの四日市駅前まで乗り入れていたくらいだ。その頃は、海、つまり港に近いJR四日市駅の存在がいまよりもはるかに大きかったということだろう。
しかし、近鉄四日市駅の開業によって、市街地の中心は徐々に近鉄側に偏って、いまの繁華街が形成されてゆく。いま、JR四日市駅と近鉄四日市駅は、その間を中央通りという大きな道で一直線に結ばれている。戦前にはなかった道で、空襲を経て戦後の復興計画の中で新たに生まれた。このメインストリートとふたつのターミナルを中心に、四日市の市街地はいまや近鉄の西側を含めた広範囲に拡大している。
そして、JRは工業地帯というすなわちこの町の筋肉質な部分、近鉄が商業地帯という柔らかな部分を担うという、見事な役割分担が確立されているところもおもしろい。
武骨な工業都市らしさを求めるならば、JR四日市。30万都市の賑わいを感じたければ商業ゾーンの近鉄四日市。うまく使い分けながら、ひとつの町が持ついくつもの顔と出会う。四日市の町を歩くと、そんな経験ができるのだ。ふたつのターミナル、歩いても15分くらいの距離である。
写真=鼠入昌史