射程は長く視野は広く…
56手目△3六馬と菅井が銀取りに馬を寄った局面で、藤井は57分考え12時30分に。
昼食休憩は12時30分から1時間あるが、菅井は20分ほどで対局室に戻った。第1局では10分で戻ってきて関係者を驚かせたが、本局でも2日続けて20分だった。
「オーベルジュ ときと」は料理宿で、こだわりのメニューがそろっている。1日目の昼食は両者とも「かじか出汁のラーメン」、写真を見ても美味しいに違いないと確信できる。そして2日目、藤井は「ラム肉の炭火焼き」と趣向を変えた。菅井は一貫して、絶対美味しいに違いない「かじか出汁のラーメン」を連採である。食べやすいのもいいところだろう。ちなみにラーメンはスタッフ内でも大人気で、撮影用に用意したラーメンを食べたいと希望者が殺到し、みんなでシェアしたそうだ。
さて局面に戻り、△3六馬には▲3四飛と馬と金の両取りに打って△3三飛と合わせる進行を予想していたが、対局再開後、藤井は3四ではなく1六飛に打った。またも中村と一緒に驚く。なるほど、△3五歩には▲4五銀△1五歩▲3六飛△同歩▲同銀と馬を消して歩切れに追い込めば、飛車角交換になっても、自陣の馬が盤石で経済封鎖(相手に駒を渡さない)できると。
指されてみるとわかるが、しかしなかなか思いつけない。藤井と当時の永瀬拓矢王座の激闘を紐解いた『藤井聡太が勝ち続ける理由─八冠の先へ』(日本経済新聞社編)で、私は王座戦五番勝負の棋譜解説を担当した。そこで藤井の読みを射撃にたとえて《射程は長く視野は広く、読みの精度は誰よりも精緻である。藤井の射撃から逃れるのは本当に難しい》と評したが、この手など、まさに視野が広い。
経済封鎖の次は鎖国だ
菅井は藤井の長考中にこの手を予想していたのだろう。飛車をあわせて馬が元の位置に戻った。完全な1手パスとなり、こんなことなら端歩を伸ばしたほうがましだったと思いそうなものだが、これが一番戦えると辛抱した。副立会の戸辺誠七段が「根性の入った一手ですね」という。
ここでまたも藤井は予想しない手順に出る。後手陣の2三に飛車を打ち込み、一つだけ引いて竜を作り、そして自陣深くに引き揚げたのだ。自陣馬プラス自陣竜! 藤井陣にはアリの入り込むスキマもない。経済封鎖の次は鎖国だ。
控室を訪れた高田尚平七段と、これまた「浮かばない発想だなあ」と感嘆する。